カルポー(読み)かるぽー(英語表記)Jean-Baptiste Carpeaux

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルポー」の意味・わかりやすい解説

カルポー
Carpeaux, Jean-Baptiste

[生]1827.5.11. バランシエンヌ
[没]1875.10.12. クールブボア
フランスの彫刻家。ジュール・カルボーともいう。父は石工。1842年以来パリに住み,1844年にエコール・デ・ボザールに入学,フランソア・リュードのアトリエで学ぶ。1854年『ヘクトル』でローマ大賞を受賞してローマに留学し,ミケランジェロの作品に強い感銘を受けて傑作『ウゴリーノと息子たち』 (1861,オルセー美術館) などを制作。1861年パリに帰り王族や廷臣たちの肖像彫刻を制作,1866年チュイルリー宮殿のパビヨン・ド・フロール装飾の仕事を引き受け,浮彫『フローラ』 (1864,ルーブル美術館) をつくる。パリのオペラ座正面の装飾彫刻『ダンス』 (1865~69,オルセー美術館) は,当時のアカデミックな彫刻家たちから酷評された。その作風は多くの点でオーギュスト・ロダンに受け継がれていくことになる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルポー」の意味・わかりやすい解説

カルポー
かるぽー
Jean-Baptiste Carpeaux
(1827―1875)

フランスの彫刻家。バランシェンヌに生まれる。パリに出て初めF・リュード、ついでF・J・デュレに学び、優れた技巧を習得した。1854年に『わが子の守護を祈るヘクトル』によってローマ賞を獲得し、イタリアに赴いた。ローマのバチカン宮システィナ礼拝堂でミケランジェロの大作から受けた感銘はきわめて深刻であったという。カルポーがローマのアカデミアに提出した作品のうち『ウゴリーノとその子たち』(1860・ルーブル美術館)はダンテの『神曲・地獄編』から着想されたもので、ローマでは非常な名声を博したが、パリでは不評であった。しかし帰国後は幸運にもナポレオン3世の従姉妹(いとこ)にあたる王女マチルドの庇護(ひご)を受けるようになり、チュイルリー宮のパビヨンの浮彫り『フローラ』(1863~66)やオペラ座正面の『ダンス』(1869)を恵まれた環境のなかで制作した。72年、のちにリュクサンブールの噴水盤になった『世界の四部分』をサロンに出品したが、この年に発病し、3年後に世を去った。

[濱谷勝也]

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