日本大百科全書(ニッポニカ) 「カレツキ」の意味・わかりやすい解説
カレツキ
かれつき
Michał Kalecki
(1899―1970)
ポーランドが生んだ世界的な経済学者。ポーランドのウージに生まれる。グダニスクの工業大学で工学を学んだが、在学中より経済学に関心を抱き、1929~35年の間、ワルシャワの景気・価格研究所で国民所得論を研究、33年に発表した『景気循環への一試論』で、資本主義経済循環の数理経済モデル(いわゆるカレツキ・モデル)の創始者となった。35年これをもとにした『景気循環の巨視的動態論』を発表したが、これはマルクスの再生産論から出発しながら、ケインズとは別個に、後の「ケインズ革命」に通じる思想を展開した画期的な業績であった。36年スウェーデンに、ついでイギリスに渡り、40年オックスフォード大学統計研究所員となる。戦後46年から54年まで国連事務局経済部次長を務め、55年ポーランドに帰り、政府顧問、計画委員会顧問、経済審議会副議長、コメコン代表などを歴任、ランゲとともに戦後経済の計画化に力を尽くした。66年アカデミー会員となる。61年以降ワルシャワの中央計画・統計大学で教鞭(きょうべん)をとり、社会主義経済成長論の完成に努めたが、68年春の修正主義攻撃に名を借りた同僚の追放に抗議していっさいの公職から引退し、70年4月17日、失意のうちに死去した。
[佐藤経明]
『カレツキ著、宮崎義一・伊東光晴訳『経済変動の理論』(1958・新評論)』▽『カレツキ著、竹浪祥一郎訳『社会主義経済成長論概要』(1965・日本評論社)』