宮崎義一(読み)みやざきよしかず

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮崎義一」の意味・わかりやすい解説

宮崎義一
みやざきよしかず
(1919―1998)

経済学者。大阪府生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒業。横浜国立大、京都大、東京経済大、明治学院大の教授歴任。「近代経済学マルクス経済学切磋琢磨(せっさたくま)」を提唱した杉本栄一(えいいち)の下で、イギリスケンブリッジ学派の経済学を研究。その後、都留重人(つるしげと)の影響の下に、現代資本主義分析に取り組む。1962年(昭和37)「過当競争論理と現実」で、日本の企業集団の「ワンセット主義」を実証し、第3回エコノミスト賞を受賞。また、多国籍企業、南北問題、国際通貨問題などに着目して、現代資本主義分析の枠組みを一国的な視点から世界的視点に拡大すべきことを提唱。さらに、1990年代の不況を、金融自由化に伴う大量の不良債権の発生と従来の有効需要不足とが重なった「複合不況」であると分析し、注目された。

[中村達也]

『宮崎義一著『近代経済学の史的展開』(1967・有斐閣)』『宮崎義一著『戦後日本の企業集団――企業集団表による分析:1960―70年』(1976・日本経済新聞社)』『宮崎義一著『現代資本主義と多国籍企業』(1982・岩波書店)』『宮崎義一著『複合不況――ポスト・バブルの処方箋を求めて』(1992・中央公論社)』

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20世紀日本人名事典 「宮崎義一」の解説

宮崎 義一
ミヤザキ ヨシカズ

昭和・平成期の経済学者 京都大学名誉教授。



生年
大正8(1919)年12月5日

没年
平成10(1998)年5月20日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和18年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

主な受賞名〔年〕
エコノミスト賞(第3回)〔昭和37年〕「過当競争の論理と現実」,日経経済図書文化賞(第17回)〔昭和49年〕「現代の日本企業を考える」,毎日出版文化賞(第40回)〔昭和61年〕「世界経済をどう見るか」

経歴
昭和37年横浜国立大学教授を経て、50年京都大学経済研究所教授、55年同研究所所長となり、日本の企業集団および多国籍企業に関する研究に取り組む。58年定年退官し、東京経済大学教授、明治学院大学国際学部教授を経て、立命館大学客員教授。第14期日本学術会議会員。多国籍企業、南北問題、国際通貨問題などの研究にいち早く着目。また日本の利益集団の実証的研究に取り組んだ。バブル崩壊後の不況をめぐって、資産価値の低下に注目した「複合不況」(平成4年)はベストセラーとなり、流行語にもなった。他の著書に「近代経済学の史的展開」「戦後日本の企業集団」「現代の日本企業を考える」「新しい価格革命」「現代資本主義と多国籍企業」「日本経済の構造と行動」(上下)「世界経済をどう見るか」「変わりゆく世界経済」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎義一」の解説

宮崎義一 みやざき-よしかず

1919-1998 昭和後期-平成時代の経済学者。
大正8年12月5日生まれ。横浜国大教授をへて,昭和50年京大教授。55年同大経済研究所長。のち東京経済大,明治学院大,立命館大の教授。理論経済学を専攻し,戦後日本の大企業の行動様式を分析。多国籍企業や国際通貨問題にもとりくんだ。平成10年5月20日死去。78歳。大阪出身。東京商大(現一橋大)卒。著作に「近代経済学の史的展開」「複合不況」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宮崎義一」の解説

宮崎 義一 (みやざき よしかず)

生年月日:1919年12月5日
昭和時代;平成時代の経済学者。京都大学教授
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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