広義には、カントの哲学説を継承して、それを発展させた人たちをすべてカント学派ということができるが、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアーら、独自の学風を練り上げていった人たちまでをもカント学派とよぶのは適当ではなく、むしろ、カントの生前からその哲学説を信奉し受け継いだ哲学者たちのみをさすのが妥当であろう。このグループに属するものとして、J・シュルツ、K・E・シュミット、J・S・ベック、K・L・ラインホルト、S・マイモンなどがいる。
シュルツは数学者であったが、カントの同僚にしてよき理解者であった。彼の著書『カント教授の純粋理性批判についての解説』(1784)によって、それまで世上の理解を得られなかった『純粋理性批判』(1781)にようやく人々の目が集まるようになった。さらにラインホルトの『カント哲学に関する書簡』(1786~87)が出るに及び、カント哲学は、学界のみならず、知識階級全般に浸透することとなった。ラインホルトは、カント哲学を土台としつつも、その前提たる感性と悟性あるいは理論的認識と実践的認識の二元的区分が、実はただ一つの根本的事実に由来する、と主張して、自らの哲学を根元哲学と名づけた。
マイモンは、カント哲学の要石(かなめいし)でもあり躓(つまず)きの石でもある物自体概念を否定し、批判哲学にとっての核心は意識と表象のみであるとして、ラインホルトのような根元的原理への方向をとらず、もっぱら意識の世界のみを考察の対象とした。彼の思想は、カント自身からも高く評価されるとともに、フィヒテやシェリングによっても尊重された。
これらの哲学は、しかし、フィヒテに始まるいわゆるドイツ観念論の輝かしい活動のなかで光を失ってゆくが、19世紀もなかばを過ぎると、ふたたびカント哲学に帰ろうとする動きが生じた。新カント学派とよばれる人たちの哲学がそれで、現代思想の成立に少なからぬ影響を及ぼした。
[武村泰男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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