日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドレクリューズ」の意味・わかりやすい解説
ドレクリューズ
どれくりゅーず
Louis Charles Delescluze
(1809―1871)
フランスの革命家、ジャーナリスト。1830年の七月革命の直後から共和主義の革命運動に身を投じ、死の瞬間まで、七月王政、第二共和政、第二帝政、第三共和政のブルジョア国家に対する果敢な闘争を展開、逮捕、投獄、亡命の繰り返される波瀾(はらん)に満ちた生涯を送った。
とくに1848年の二月革命時には、ノール県の政府代表委員となり、のちパリで急進共和派の山岳党の機関紙『民主社会革命』紙の編集にあたり、1853年から1859年まで投獄とカイエンヌ(フランス領ギアナ)への流刑の生活を送り、1868年には『ル・レベイユ』(目覚め)紙を創刊、末期の第二帝政に対する闘争を強力に推進した。1870年、プロイセン・フランス戦争のパリ籠城(ろうじょう)戦中は、第19区長に選出され、国防仮政府の降伏路線と対決、翌1871年3月のパリ・コミューンの革命とともに、コミューン評議会に選出された。4月19日のパリ・コミューンの『フランス人民への宣言』の起草にあたり、外務委員会、執行委員会、軍事委員会を歴任後、5月10日陸軍省代表に選ばれ、パリ・コミューンのベルサイユ政府との戦闘指導にあたった。コミューン末期の「血の週間」最中の5月25日、シャトー・ドー広場(現在のレピュブリック広場)のバリケードの上で壮烈な戦死を遂げた。
[桂 圭男]
『桂圭男著『パリ・コミューンの老人と若者と』(1982・誠文堂新光社)』