前9世紀ころ南ロシア草原において最初に騎馬遊牧勢力を形成したイラン系民族。乗馬,騎射,車両住宅に特色があり,のちのスキタイ国家の先達である。黒海北岸やカフカス地方で発見される地下横穴式墳墓がキンメリア人のものとされる。さきにメディア人やペルシア人がイラン高原に移動したあとを追って,キンメリア人もカフカスを越えてウラルトゥ王国(ワン湖周辺)に侵入し(前722-前715),さらにアッシリア帝国を脅かした。キンメリア人はアッシリア文献にギミルライGimirrai,ガミル人として記される。キンメリア人の一部は小アジアに移動し,前7世紀の70年代から50年代にかけて,フリュギアとリュディアに攻撃を加え,中部アナトリアを一時支配した。また一部はアッシリア帝国の東縁ぞいに南下して,ザーグロス山脈にも達した。ザーグロス山中から出土する,いわゆるルリスタン青銅器は,このキンメリア人の残したものであるとする説がある。
執筆者:小谷 仲男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
カフカスとアゾフ海の北部に居住していた民族。キンメルCimmer, Kimmer人ともいう。その起源は明らかでないが、スキタイに追われて、紀元前8世紀末にアナトリア方面に進出したと考えられる。言語学的にみると、キンメリア人はイラン系に属すると考えられるが、その故地についてはいまだに定説がない。前717年ころ東方に進出してウラルトゥを攻撃したが、その後アッシリアのサルゴン2世に敗れ、ふたたびアナトリアに引き返した。アナトリアでは、前7世紀後半、フリギア、リディアを滅ぼしている。この時期が全盛期であるが、衰退も早く、前637年から前626年に最終的に滅亡した。歴史的資料のなかでは、その後見当たらず、おそらくカッパドキア付近に定着したものとされる。
[糸賀昌昭]
…この民族の起源についてはまだ不明なところが多いが,イラン系民族であろう。スキタイ国家の出現にさきだち,アゾフ海東岸の草原地帯やクバン川流域に,キンメリア人が既に騎馬遊牧文化をつくりあげており,スキタイ文化はそれに多くを負っている。ヘロドトスによれば,スキタイ人は農耕をせず,生計は家畜にたよっている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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