改訂新版 世界大百科事典 「ギュルハネ勅令」の意味・わかりやすい解説
ギュルハネ勅令 (ギュルハネちょくれい)
1839年11月3日,オスマン帝国の大宰相で開明的なムスタファ・レシト・パシャによって布告されたスルタン,アブデュルメジト1世(在位1839-61)の改革勅令。首都イスタンブールのギュルハネGülhaneにおいて発布されたのでその名称がある。この改革は,タンジマートと呼ばれ,オスマン旧体制から西欧的体制への移行を目指すもので,全国民に,信仰や出生の別なく,生命・名誉・財産の完全なる保障,公正な課税基準の設定,徴兵および勤務年限規定の実施などを約束し,司法審議会や通商評議会の設定,地方代表者会議の招集など,きわめて広範囲にわたったが,旧勢力の反対にあって中途で挫折を余儀なくされた。
執筆者:三橋 冨治男
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