クタイバブンムスリム(英語表記)Qutayba b.Muslim

改訂新版 世界大百科事典 「クタイバブンムスリム」の意味・わかりやすい解説

クタイバ・ブン・ムスリム
Qutayba b.Muslim
生没年:669・670-715

ウマイヤ朝のホラーサーン総督で中央アジア征服者。705年,イラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフ命令でアム・ダリヤを渡り中央アジアに侵入,諸都市を征服しフェルガナに達し,中央アジアがイスラム化する端緒を開いた。ハッジャージュ・ブン・ユースフワリード1世の死で保護者を失い,第7代カリフ,スライマーンに反旗を翻したが,新カリフに忠誠を誓う部下にフェルガナで殺された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クタイバブンムスリム」の解説

クタイバ・ブン・ムスリム
Qutayba b. Muslim

669~715

ウマイヤ朝部将で中央アジアの征服者。北アラブに属し,705年ホラーサーン知事に任命され,ブハラサマルカンドホラズムなどを征服し,フェルガナ一部をも攻略した。ウマイヤ朝カリフワリード1世が没し,スライマーン(在位715~717)が南アラブの援助を得て即位すると,これに背いて部下に殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クタイバブンムスリム」の意味・わかりやすい解説

クタイバ・ブン・ムスリム
くたいばぶんむすりむ
Qutayba b. Muslim
(669/670―715)

ウマイヤ朝時代のホラサーン総督の一人で、中央アジアの征服者。弱少部族の出身であったが、カリフ、アブドゥル・マリクのイラク総督であるハッジャージュに軍事的手腕を認められ、ホラサーン総督に任命された。705年、ハッジャージュの命で州都メルブを出発し、アムダリヤオクサス川)を渡って中央アジア征服に乗り出し、当地域の多くの都市を攻略して中央アジアのイスラム化への道を開いた。カシュガルにまで達したといわれるが伝説にすぎない。ハッジャージュが没し、新カリフ、スライマーンによる罷免懲罰を恐れ反乱したが、フェルガナで戦死した。

花田宇秋]

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世界大百科事典(旧版)内のクタイバブンムスリムの言及

【ウマイヤ朝】より

…政府は叛服常なきアラブ・ムカーティラ(大部分は遊牧民出身)の遠心的エネルギーを外に向けようとした。東方では706年,クタイバ・ブン・ムスリムが中央アジアを征服してフェルガナに達した。またムハンマド・ブン・アルカーシムは西北インド(シンド)を征略した(712‐713)。…

※「クタイバブンムスリム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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