クラーマン(英語表記)Harold Edgar Clurman

改訂新版 世界大百科事典 「クラーマン」の意味・わかりやすい解説

クラーマン
Harold Edgar Clurman
生没年:1901-80

アメリカの演出家劇評家。1931年に結成された意欲的な劇団グループシアターの中心として,オデッツやポール・グリーンの作品を上演。さらにブロードウェーでA.ミラー,オニールなどの劇を演出して,アメリカのリアリズム演劇確立に貢献した。他方,若いときにフランスの演出家J.コポーに学んだ経験を生かして,アヌイ,ジロードゥーなどフランス作家の英語圏への紹介にも努めた。1968年には来日して劇団雲のためにオニールの《氷屋来る》を演出。知的週刊誌《ネーション》に多年にわたって劇評を書いたほか,グループ・シアターについての回想,演出論,自伝,イプセン論などの著書がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラーマン」の意味・わかりやすい解説

クラーマン
Clurman, Harold

[生]1901.9.18. ニューヨーク
[没]1980.9.9. ニューヨーク
アメリカの演出家,劇評家。コロンビア大学卒業。 1925年シアター・ギルドに加わり舞台監督助手をつとめた。 31年にグループ・シアターを結成,スタニスラフスキー・システムによる演出を実践するとともに,C.オデッツ,W.サローヤン,I.ショーら若い新しい劇作家の作品を紹介し,また E.カザンらを世に送り出した。著書に,グループ・シアターの活動を回想した"The Fervent Years" (1945,57) ,演劇評論集"Lies Like Truth" (58) ,"The Naked Image" (66) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラーマン」の意味・わかりやすい解説

クラーマン
くらーまん
Harold Edgar Clurman
(1901―1980)

アメリカの演出家、劇評家。大学卒業後パリへ留学、J・コポーの下で演出を学ぶ。帰国後シアター・ギルドを経て、リー・ストラスバーグらとグループ・シアター(1931~41)を創設、1930年代アメリカ社会劇の興隆に貢献した。劇団からは劇作家オデッツ、演出家カザンらが育った。劇団の歴史は著書『情熱の歳月』に詳しい。後年は劇評にも健筆を振るう一方、オニール劇上演のため二度来日した。

[一ノ瀬和夫]

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