ドイツの数学者、物理学者。1828年ボン大学数学教授、のちベルリン、ハレ大学教授を経て1836年ふたたびボン大学教授。1836年『解析幾何学体系』を著し、近代幾何学の基礎の確立に貢献した。その後ファラデーの反磁性の発見に触発されて、1847年ごろから実験的物理学研究に転じた。1847年ボン大学物理学教授に就任の年に「結晶磁気の法則」を発見。また、1857年ボンの機械工ガイスラー製作によるガイスラー管を用いて気体放電研究を開始した。とくに、磁石の両極間に置かれた放電管中の光条が屈曲する現象に注目し、それを物質粒子の「磁気曲面」への集中によると説明、さらに、陽極に近いガラス壁が緑色の蛍光を発する(陰極線に起因する)現象を発見した。1865年からもとの数学研究に戻り、線束の幾何学や四次元の空間について研究した。
[宮下晋吉]
ドイツの数学者,物理学者。ライン商人の家系に生まれ,ボン,ベルリン,パリの各大学で学んだ。1825年よりボン,ベルリン,ハレの各大学で教え,36年からは終生ボン大学にあって,初めは数学の,のちには実験物理学の講座を担当した。彼の数学上の業績は,当時新興の射影幾何学を解析的方法で研究して,解析幾何学を立て直したことである。とくに,同次座標の概念を導入して,無限遠直線や双対の原理に明快な説明を与えたことと,双対の考えを平面代数曲線にまで広めて,特異点の研究を行い,今日,プリュッカーの公式と呼ばれている結果を示したことは不滅の業績といえる。また,物理学の分野においては,ガイスラー管を用いて真空放電現象を研究し,陰極に近いガラス壁が緑色の蛍光を放つことを発見(陰極線発見の先駆),また,スペクトルの輝線が物質に固有であることを発見,これが化学分析に有効であることを指摘した。弟子のヒットルフJ.W.Hittorfの論文から,同じ物質でも温度の違いによって異種のスペクトルを出すことを指摘し,水素,窒素などについて実証した。
執筆者:中岡 稔
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…1881年に学位を取得し,おもに高真空中での電気放電を研究した。ドイツの物理学者プリュッカーJulius Plücker(1801‐68)が発見した陰極から発する放射線に対して陰極線の名を与え,数多くの実験を通してこの線に関するW.クルックスの説を批判した。さらに86年には,穴をあけた陰極を使用することによって,陰極線とは反対方向に穴をつき抜ける放射線があることを見いだし,陽極線の一種であるこの線にカナル線canal raysの名を与えた。…
…その基礎は,非調和比が射影的性質であることや,射影幾何学の双対性を見いだしたJ.V.ポンスレによって築かれた。これを継承して,シュタイナーJ.Steiner(1796‐1863)は二次曲線や二次曲面も射影的に扱えることを示し,A.F.メービウスやJ.プリュッカーは座標を導入して射影幾何学を解析幾何学として建設し,またシュタウトK.G.C.von Staudt(1798‐1867)はデザルグの定理を基としてそれを総合幾何学として建設した。
[非ユークリッド幾何学]
ユークリッドがあげた5個の公準のうち,第5番目のものは〈1直線が2直線と交わり,同じ側の内角の和が2直角より小ならば,2直線は限りなく延長するとその側で交わる〉と述べられている。…
…1881年に学位を取得し,おもに高真空中での電気放電を研究した。ドイツの物理学者プリュッカーJulius Plücker(1801‐68)が発見した陰極から発する放射線に対して陰極線の名を与え,数多くの実験を通してこの線に関するW.クルックスの説を批判した。さらに86年には,穴をあけた陰極を使用することによって,陰極線とは反対方向に穴をつき抜ける放射線があることを見いだし,陽極線の一種であるこの線にカナル線canal raysの名を与えた。…
※「プリュッカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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