日本大百科全書(ニッポニカ) 「グロムイコ」の意味・わかりやすい解説
グロムイコ
ぐろむいこ
Андрей Андреевич Громыко/Andrey Andreevich Gromïko
(1909―1989)
ソ連の政治家。7月6日ベロルシア(現ベラルーシ)のミンスク近郊で生まれる。1931年に入党。ミンスク農業大学、ソ連農業経済研究所大学院で学んだのち、1936年に経済研究所研究員となる。1939年に外務省に転じ、駐米大使、国連安保理常任代表、外務次官、同第一次官、駐英大使などを経て、1957年2月に外務大臣。以来1985年7月まで28年間その職にあった。1956年経済学博士。党でも1952年に中央委員候補、1956年に中央委員、1973年4月には職業外交官としてソ連史上初めて政治局員となる。1983年3月には外相兼務のまま第一副首相に昇進、1985年3月のゴルバチョフ書記長の選出にあたっては推薦演説を行った。同年7月外相を辞してソ連最高会議幹部会議長に選出され、国家元首となる。1988年に辞任。第二次世界大戦中から戦後にかけてのテヘラン、ヤルタ、ポツダムの各会議をはじめ、戦後の多くの重要会議に出席。長年の経験を生かし、外交に手腕を発揮した。
[中西 治]