日本大百科全書(ニッポニカ) 「日ソ共同宣言」の意味・わかりやすい解説
日ソ共同宣言
にっそきょうどうせんげん
1956年(昭和31)10月19日に署名され、12月12日批准書が交換されて発効した「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」。吉田茂内閣にかわって登場した鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣は、当時、ソ連との国交回復を外交方針に掲げ、1955年6月からロンドンで松本俊一(まつもとしゅんいち)代表とマリク代表との間で会談を開始せしめたが、領土問題で行き詰まり、1956年3月に無期休会となった。同年7月、モスクワで重光葵(しげみつまもる)外相とシェピーロフ外相との交渉が再開され、その結果、平和条約の締結を棚上げして、共同宣言に合意するに至った。その内容は、(1)戦争状態の終結、(2)外交・領事関係の回復、(3)国連憲章の原則、自衛権、内政不干渉の原則の確認、(4)日本の国連加入の支持、(5)日本人抑留者の送還、(6)賠償請求権の放棄などであるが、もっとも重要なのは平和条約と領土に関する部分で、宣言は「正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結交渉が継続される」こと、およびソ連が歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)を日本に「平和条約が締結された後、現実に引き渡す」ことを規定している。
[石本泰雄]