日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲバラ」の意味・わかりやすい解説
ゲバラ
げばら
Ernesto “Che” Guevara
(1928―1967)
ラテンアメリカが生んだ傑出した革命家。アルゼンチンのロサリオ市の中流家庭の生まれで、幼児のときから喘息(ぜんそく)の持病に苦しめられた。ブエノス・アイレス大学で医学を学ぶかたわら、ラテンアメリカの各地を旅行してこの地域の現実について見聞を広め、大学で学位を得たのちは中米のグアテマラに行き、そこで進歩的なアルベンス政権がアメリカのCIAに援助された反革命軍の手で転覆されるのを目撃した。その後メキシコに行き、キューバから亡命していた革命家たちと親交を結んで彼らの革命運動に参加した。1956年末カストロらのグループに加わってキューバに侵攻し、反乱軍の一司令官として活躍した。のちにゲリラ戦による革命の方法を理論化した『ゲリラ戦争』(1960)を著し、ラテンアメリカの武装革命のバイブルとして大きな影響を及ぼした。
1959年初めにバチスタ政権を打倒したのち、新政権のもとで国立銀行総裁(1959年10月)となり、1961年2月には初代工業相に就任した。その後1965年3月以来公式の場から姿を消すまで、工業相としてキューバの社会主義経済の建設を指導するとともに、『キューバ――反帝闘争の歴史的例外か前衛か』(1961)をはじめとする多数の論文や著作の発表により、また世界各地で開かれた国際会議への精力的な出席を通じて、キューバ革命をラテンアメリカ革命の前衛として位置づけるとともに、アジア、アフリカでの反帝国主義民族解放闘争との連帯に努めた。キューバから姿を消したのちボリビアに潜入して民族解放軍を結成し、1966年からゲリラ戦を開始したが、翌1967年10月政府軍の手で捕らえられ射殺された。ゲバラの思想と行動は一貫してキューバ革命の推進力の役割を果たしたばかりか、革命家として誠実な姿勢と思想と行動がもつ急進主義は、世界の他の地域にも大きな影響を及ぼした。
[加茂雄三]
『『ゲバラ選集』全4巻(1968~1969・青木書店)』▽『平岡緑訳『ゲバラ日記』(中公文庫)』▽『ゲバラ著、平岡緑訳『革命戦争回顧録』(中公文庫)』▽『三好徹著『チェ・ゲバラ伝』(文春文庫)』