コチャリャン(読み)こちゃりゃん(その他表記)Роберт Кочарыан/Robert Kocharïan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コチャリャン」の意味・わかりやすい解説

コチャリャン
こちゃりゃん
Роберт Кочарыан/Robert Kocharïan
(1954― )

アルメニアの政治家。旧アゼルバイジャン領のナゴルノ・カラバフ共和国(アゼルバイジャン共和国の自治州であったが、1991年に共和国樹立宣言)の首都ステパナケルト市の出身。アルメニア人。エレバン工科大学卒業の技術者であった。ナゴルノ・カラバフのアルメニア編入を求める民族自立運動の最強硬派。前大統領テルペトロシャンLevon A. Terpetrosyan(1945― )に引き立てられて、1993年3月に首相になった。だが、同共和国の帰属問題に端を発したアゼルバイジャンとの民族紛争で、仲介に立った全欧安保協力機構(OSCE)が提示した和平案をめぐって、受け入れを表明した前大統領を「弱腰」と批判し、任期途中で辞任に追い込んだ。ただし1998年の大統領選挙では、大統領・議会・行政の各権限を明確に規定するための憲法改正や、エネルギー危機の解決、国営企業の民営化、税制・福祉制度の改革など、もっぱら内政課題の解決を強く訴えて支持を広げ、当選を決めた。2003年再選(~2008)。

[白井久也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コチャリャン」の意味・わかりやすい解説

コチャリャン
Kocharian, Robert

[生]1954.8.31. アゼルバイジャン,ステパナケルト
アルメニアの政治家。大統領(在任 1998~2008)。フルネーム Robert Sedraki Kocharian。父はソビエト連邦のアゼルバイジャン共和国ナゴルノカラバフ自治州で指導的な地位にあった。1972~74年にソ連軍に所属したのち,1982年にエレバン工科大学を卒業。のちにソ連共産党の役員になった。1980年代後半にナゴルノカラバフでアゼルバイジャンからの分離およびアルメニアへの統合を目指す運動の指導者になった。ナゴルノカラバフが共和国として独立を宣言した 1992年から防衛委員会議長および首相としてアゼルバイジャンとの臨戦態勢を整えた。1994年の停戦宣言をうけてナゴルノカラバフ共和国の初代大統領に選出されたが,共和国独立は国際的には承認されなかった。1997年にアルメニア首相に指名されナゴルノカラバフ共和国大統領の職を退いた。翌 1998年のアルメニア大統領選挙では,軍部と国内最大の組織力をもつ政党ダシナクツチュンの支持を受け大統領に選出された。アルメニアの旅券をもってはいたものの,ナゴルノカラバフ共和国市民であると主張していたため,アルメニアの被選挙権があるか否か論議を呼んだ。再選を果たした 2003年の選挙には不正があったと糾弾された。大統領の任期中,ナゴルノカラバフ紛争の平和的解決に向けて努力を続けた。

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