翻訳|comet
ことばの意味(彗星(すいせい))から、この名称をつけた飛行機は少なくないが、そのなかでイギリスのデ・ハビランド社(ホーカー・シドレー社を経てブリティッシュ・エアロスペースBAe社となる)が生産した世界最初のジェット旅客機がもっとも有名である。このコメットは第二次世界大戦中にすでに計画され、1949年7月27日初飛行、52年5月南アフリカ線に就航。その画期的な高速度と快適性とで好評を博し、イギリス航空工業の水準を誇示したが、設計技術の未発達から、構造上の欠陥を露呈し、大きな事故が相次いだため、耐空証明が取り消された。57年に事故原因の究明の結果、欠陥を是正して再登場し、ジェット旅客機として世界で最初に北大西洋線に就航した。しかし、アメリカの大型ジェット旅客機の進出によって市場を奪われ、105機をもって生産が打ち切られた。中距離用の4Bでは、全幅34.2メートル、全長36.0メートル、翼面積191.3平方メートル、最大重量69.2トン、最大乗客数101人、最大時速890キロメートルといったデータであった。
なお、本機以外にコメットと名づけられた飛行機としては、第二次世界大戦中のメッサーシュミットMe163迎撃用ロケット戦闘機、1934年ロンドン―メルボルン間連絡飛行競技に優勝し、マック・ロバートソン杯を獲得したデ・ハビランド社の初代のコメットDH88、38年ドイツでつくられたドルニエDo‐C輸送機などが知られている。
[落合一夫]
イギリスのデ・ハビランド社が設計製作した世界最初のジェット旅客機DH106の名。初飛行は1949年。全長28.35m,全幅35m,ターボジェットエンジン4基を装備,後退翼と与圧客室をもち,乗客定員36名(1型)。定期航空に就航したのは52年5月2日BOACのロンドン~ヨハネスバーグ路線が最初である。コメットの運航は最初一応順調であったが,53年5月空中分解で乗員乗客42名全員死亡,さらに54年1月および4月には空中爆発によってそれぞれ乗員乗客35名,21名全員死亡の大事故をひき起こした。事故調査の結果,与圧による胴体外板の疲労破断によるものと判明したが,未知の要素が多かったとしてデ・ハビランド社の責任は問われなかった。この事故は以後のジェット輸送機開発の貴重な教訓となり,与圧胴体をもつジェット輸送機は,あらかじめ水槽内で胴体に内圧を繰り返し負荷し,十分な疲労強度をもつことを確認してから就航するのが慣例となった。
執筆者:佐貫 亦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「デハビランド・コメット」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…したがってうろこの赤色部を人工的に抜いて脱色させる手術も行われている。このほかにキャリコcalico,コメットcomet(イラスト),ヤマガタキンギョ(山形金魚),ナンキン,ツガルニシキ(津軽錦),ヒロニシキ(弘錦)などがある。
[中国金魚]
いわゆる〈中国金魚〉には日本在来の品種に近いものもあるが,ここでは著しい特徴をもつもののみを列挙するにとどめる。…
※「コメット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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