インド南西端ケーララ州北部のマラバル海岸に面する港市。現地名はコジコーデKozhikode。人口44万(2001),大都市域人口88万(2001)。8世紀以来アラブ商人の進出によりインド洋交易が活発となるとともに,インド西海岸の重要港市として栄えた。1487年にはポルトガル人ペロ・デ・コビリャンPero de Covihamが来航し,98年には喜望峰回りでバスコ・ダ・ガマが東アフリカから乗せたヒンドゥー教徒を水先案内人として来航した。彼の上陸地点は北方約25kmのカッパードで,記念碑が建てられている。彼はカリカットでスペイン語を話すアラビア人に会って驚いている。以後,香料,綿製品交易で栄えた。キャラコ(白の木綿地)の名はカリカットに由来するが,綿業は現在完全に衰微した。1511年にポルトガルが,1644年にイギリスが,98年にフランスが入れかわり交易所を設けたが,1792年に英領となった。港市としての繁栄はしだいに南のコーチンに奪われた。また港も浅いため大型外洋船の接岸は困難である。後背地の海岸平野からのココナッツ,コプラ,丘陵からのコーヒー,ゴム,香料,また西ガーツ山脈のチーク,シタンを輸出する。南方約5kmのカッライには世界的な木材取引市場がある。
執筆者:応地 利明
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インド南西部,マラバール海岸の港市。現地名はコーリコード。8世紀以降,アラブ商人の進出により栄えた。特に14世紀初頭からは,ケーララ中央部で勢力を誇った領主ザモリンの保護のもとに,胡椒(こしょう),綿布などの輸出港,東西貿易の中継港として繁栄した。1498年にポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマの艦隊が到着したのもこの近傍である。ザモリンは,胡椒などの貿易の独占を図るポルトガルやオランダにしばしば敵対した。1792年にイギリス領となった。
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