フランスの作家,外交官。熱烈な王党派である近衛士官を父に持ち,少年期をフランスで過ごしたのち,1830年の七月革命を機にドイツ,スイスに赴き,19歳でパリに出て文筆活動に入る。49年,外相トックビルの知遇を得て,ヨーロッパ各地,南米,ロシアに赴任,さらにトルコ,ギリシアを歴訪した。《中央アジアにおける宗教と哲学》(1865),《ペルシア人史》(1876)などの民族研究,紀行文はその成果である。さらに彼は,人種の本質的不平等,アーリヤ人種の優越性を骨子とする人種哲学〈ゴビニスム〉を主張,《人種不平等論》(1853-55)でそれを理論化し,ナチズムの民族主義の先駆者となった。また,スタンダール的な乾いた文体で,野心的エネルギー礼賛と貴族主義を説いた長編小説《プレイヤード》(1874),戯曲《ルネサンス》(1877)によって,ロマン派と異なる文学を生み出した。
執筆者:山崎 庸一郎
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フランスの外交官、著作家。小説の寄稿家として青年時代の十数年を過ごしたのち外交官に転じ、ベルンを皮切りにヨーロッパ各地、南アメリカ、ロシア、トルコなど各地を歴任、この間、年来の宿願であった東方研究に打ち込み、多くの研究書、紀行文を著す。代表的なものに『アジアの三年』(1859)、『中央アジアの宗教と哲学』(1865)、『ペルシア人の歴史』(1869)などがあるが、主著は大作『人種不平等論』(1853~1855)である。古代のアーリア人を最優秀人種とする彼の人種理論は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、汎(はん)ゲルマン主義、反ユダヤ主義、ナチズムに援用され、にわかに脚光を浴びるに至った。また小説家としては、初期の代表作に『スカラムーシュ』(1843)、『イルノワ嬢』(1847)、後期の代表作に『プレイアード』(1874)、『ヌーベル・アジアチック』(1876)などがあり、簡潔な文体とロマンチックな素材においてスタンダールに比肩しうるといわれる。
[長澤孝廣 2015年5月19日]
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…人類が単一の祖先から生まれたとする単元論と,元来,別々の祖先の子孫が人種であるとする多元論とが相譲らずに議論を戦わせた。人種には能力や道徳の差があるという人種不平等論がゴビノー(1816‐82)らによって唱えられた。それらはのちの白人優秀説を主張する人種主義の土台をつくったものであるが,19世紀の間,戦争する白人国同士の間で相手の国民が劣等人種であると軽蔑しあうようなこともあった。…
※「ゴビノー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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