バグダード(その他表記)Baghdād

デジタル大辞泉 「バグダード」の意味・読み・例文・類語

バグダード(Baghdād)

バグダッド

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精選版 日本国語大辞典 「バグダード」の意味・読み・例文・類語

バグダード

  1. ( Baghdad )[ 異表記 ] バグダッド イラク共和国の首都。チグリス川中流の両岸にまたがる。西アジア隊商貿易路の要地として発達。八世紀にアッバース朝の首都となり、イスラム帝国の拡大とともに世界一の大都市に発展したが、一三世紀には蒙古軍、一五世紀にはチムール軍に破壊された。一九二一年イラク王国の首都となってから近代的新市街が発達。歴代カリフの建設した大モスクが残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「バグダード」の意味・わかりやすい解説

バグダード
Baghdād

イラク共和国の首都。同国中部,ティグリス川の河畔にあり,イラク平原のほぼ中央部に位置している。人口は約575万(2003)。名称の由来については,これを〈神(バグ)の賜物〉を意味するペルシア語であるとする説や,〈羊の家〉を表すアラム語であるとする説などがあって,一定していない。バグダードの存在はすでにハンムラピ王の時代から知られていたが,前8世紀になるとアラム人の集住が始まり,やがてここに年ごとの定期市を開くことが慣例となった。中世のヨーロッパ人は,長い間バグダードが古代の王都バビロンであると信じこんでいた。しかし政治的にも,経済的にも,イスラム以前のバグダードが定期市の開催地以上の重要性を帯びることは決してなかったのである。

 アッバース朝(750-1258)の首都は,初代カリフのサッファーフ(在位750-754)がクーファで即位した後,短期間のうちにクーファから北方の新都ハーシミーヤḤāshimīya,さらにバグダード西方のアンバールal-Anbārへとめまぐるしく変わった。第2代カリフ,マンスール(在位754-775)は即位後まもなく都をアンバールからハーシミーヤへ戻したが,ここはシーア派住民の多いクーファに近く政情不安であったから,新王朝にふさわしい首都を他の地に求める必要があった。入念な調査の結果,ササン朝時代のイーサー運河やサラート運河などを活用できるティグリス川西岸の小村バグダードが選ばれた。建設は762年から始まり,10万人の労働者と400万ディルハムの巨費を投じて,4年後の766年に,三重の城壁に囲まれた大規模な円形都市が完成した。マンスールはコーランにある天国(ダール・アッサラーム)の名にちなんで新都の正式名をマディーナ・アッサラームMadīna al-Salam(平安の都)と定めたが,一般には,その後も旧来通りバグダードの呼称が用いられた。直径2.35kmの円城内には,黄金門宮と大モスクを中心に諸官庁,親衛隊の駐屯所,カリフ一族の館などが置かれ,外壁に設けられた四つの城門は,それぞれホラーサーン,バスラ,クーファ,ダマスクスに至る街道へと通じていた。イラクに伝統的な円城と中央にそびえる宮殿の緑色ドームは強大なカリフ権の象徴となり,これ以後,カリフと民衆との乖離(かいり)が急速に進行した。

 バグダードは,ユーフラテス川とティグリス川を結ぶ運河網が発達した,肥沃な農耕地帯のほぼ中央に位置していた。しかも東西を結ぶキャラバン・ルートと南北の河川ルートの交差点にあったから,帝国経済の発展につれてイランや中央アジアから商人や手工業者が来住し,まもなく市街地はティグリス川の西岸から東岸へと拡大していった。第3代カリフ,マフディー(在位775-785)が東岸に建設した軍隊の駐屯地の周辺にはルサーファRuṣāfa地区が形成され,歴代の宰相を輩出したバルマク家もその北のシャンマーシーヤShammāsīya地区に広大な屋敷を構えていたと伝えられる。市場(スーク)は最初,円城の外壁と内壁とを結ぶ4本のアーケードに沿って置かれていたが,773年円城の治安を維持するために,約2km南のカルフKarkh地区へと移された。カルフには主としてシーア派の商工業者が集住し,やがてここが当時の先進技術を集めた生産と商取引の一大センターとして発展してゆく。アッバース朝時代のバグダードは,絹織物,綿織物,ガラス・金属製品,刀剣,紙などの生産地として知られ,それぞれの同業者は組合(ヒルファ,ミフナ)を組織したが,その長は政府の任命であった。また,裁判官(カーディー)や市場監督官(ムフタシブ)による販売や両替の監督もすでにこの時代から始まっていた。最盛期の9~10世紀になると人口は150万に達し,モスク,浴場(ハンマーム),病院などの公共施設の数も飛躍的に増大した。一説によれば,9世紀末のバグダードには6万の浴場があったという。

 帝国経済の発展は,バグダードをはじめとする都市社会の階層分化を著しく促進した。遠隔地商業に従事する大商人(タージル)は,商業利潤を私領地(ダイア)の購入と経営に注ぎ込み,軍人や高級官僚とともに富裕な大土地所有者層を形成した。これらの特権層(ハーッサ)に対して,市場の商人,職人,下級官僚,家内奴隷などが民衆(アーンマ)を構成し,その中間に法学者や神学者を中心とするウラマー層が形成されつつあった。このような社会状況の下で活動を開始したのが,任俠・無頼の徒(俠客アイヤールーン‘ayyārūn)である。10世紀以降,アイヤールーンはカリフ権力の衰退に乗じて富裕者の館を襲い,略奪や放火を繰り返したが,他方では一定の自治組織を確立して祭礼をとりしきり,外部勢力に対して街区を防衛する役割も果たした。カリフや商人たちは彼らを無頼の徒とみなしたが,ウラマーによってモスクから追放された物語師(カーッス)や民衆による新しい宗教運動のリーダーとして登場した神秘主義者の長は,アイヤールーンの活動に積極的な支持を与えた。しかし946年(945年の説もある)になってバグダードに入城したブワイフ朝(932-1062)のアフマドが,アッバース朝カリフからアミール・アルウマラーに任じられ,ここにシーア派のブワイフ朝政権が成立すると,スンナ派とシーア派の対立がしだいに表面化し,両派はそれぞれのアイヤールーンを擁して互いに抗争を繰り返すようになった。これによって荒廃する街区も少なくなかったが,とりわけ商工業の中心であったカルフ地区の荒廃は,エジプトやシリアへの人口流出を促す要因となった。

 アッバース朝の首都がサーマッラーに移された時代(836-892)を除いて,アッバース朝の歴代カリフはバグダードに居を定めた。カリフは官僚機構を整備して帝国の行政をつかさどるとともに,学者や文人を保護してイスラム文化の振興に努めた。マンスールが建設した円城内のモスクは,法学,とくにハナフィー派ハンバル派の法学を研究・教育する中心機関となった。また,マームーンによって建設されたバイト・アルヒクマ(知恵の館)では,ギリシア語による医学・数学などの自然科学書がアラビア語に翻訳され,その活動の成果はアラビア科学の発展に大きく貢献した。ブワイフ朝に続いて1055年にバグダードに入城したセルジューク朝(1038-1194)は,シーア派勢力の拡大に対抗してスンナ派のウラマーを養成する必要から,1067年ティグリス川東岸にニザーミーヤ学院を建設し,これがイスラム世界におけるマドラサ教育の先がけとなった。12世紀を通じてニザーミーヤ学院はなおイスラム諸学の中心的な地位を占めたが,1258年にモンゴル軍の侵入を受けると,バグダードはイル・ハーン国(1258-1353)の一地方都市となり,イスラム文化の中心はマムルーク朝治下のカイロへと移行した。

 その後,バグダードはティムール軍の侵入を2度にわたって受け(1392-93,1401),徹底的な殺戮と破壊によって数多くの街区が荒廃に帰した。さらに16世紀にはサファビー朝とオスマン帝国の争奪の地となり,バグダードは極度に衰退して,人口はわずかに1万5000を数えるまでに減少した。1638年以降は,オスマン帝国の総督(パシャ)による比較的安定した統治が行われた。しかし18世紀に入ると,市内はイエニチェリ軍団が支配し,郊外にはアラブ部族が割拠する状況となった。ハサン・パシャḤasan Pashaは1704年に総督に任じられると,マムルーク軍を編成して事態の打開を図ったが,これらのマムルークのなかからやがてスレイマーン・パシャSulaymān Pashaが頭角を現し,1749年バグダード総督に任命された。歴代のマムルーク総督の下でマドラサや市場の建設が積極的に行われ,1831年にオスマン帝国の直接統治が復活する頃には,人口も10万を超えるところまで回復した。69年にはバグダードに最初の印刷所が建設され,続いて近代的な学校制度も導入された。20世紀初頭のバグダードには,4000の店舗,285のコーヒー店,145のモスク,六つの小学校,20の神秘主義道場があり,住宅数は9万戸に達したと伝えられる。

 20世紀に入り西欧列強の中東地域の植民地化・保護国化が進むにつれ,バグダードはドイツ帝国による三B政策の橋頭堡として位置づけられ,バグダード鉄道の建設が計画された。しかし第1次大戦のドイツとオスマン帝国の敗北により,この計画は挫折した。1921年にイラク王国が誕生してバグダードはその首都に定められ,市域はさらに拡大し,北側のカージマインKāẓimayn地区や西岸のマンスール,マームーン地区も市街地に組み込まれた。55年にイラク共和国の首都となってからも,バグダードは着実な発展を続け,豊富な石油資源を基礎に近代都市へと急激な変貌を遂げつつある。しかし現在までのところ,背後に広大な農耕地を控え,しかも陸上・河川ルートの要衝にあるという好条件を十分に生かしきることはできず,かつてカイロに譲った政治・文化活動の中心的な地位をまだ取り戻すまでにはいたっていない。
執筆者:

モンゴルとティムールの侵攻による破壊,風化しやすい建築素材(煉瓦)などが原因で,現存する遺構の数はきわめて少ない。アッバース朝の栄華を物語る建築物は,わずかに,煉瓦造の壮麗なマドラサ,ムスタンシリーヤ学院(1233創設。現在,博物館),アッバース宮殿(1230年ころマドラサとして建設。現在,博物館),市城門バーブ・アルワスターニ(12世紀。現在,軍事博物館),八角形の基台にムカルナス装飾のある三角錐状の塔をのせたシッタ・ズバイダの墓塔(1179-1225ころ)などである。その他,マルジャーニーヤ建築群(モスク,マドラサ,墓廟。1357),プランや採光法がユニークなハーン・マルジャーン(1359。現在,アラブ博物館),スーク・アルガズル・モスクのミナレット(13世紀後半)などが残る。博物館としては以上のほかイラク博物館,自然史博物館,バグダード博物館,民俗博物館,国立近代美術館などがある。
執筆者:


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バグダード」の意味・わかりやすい解説

バグダード
ばぐだーど
Baghdād

イラクの首都。同国中央部、ティグリス川沿岸に位置する。人口約495万8000(2001)。気候は、砂漠が近いため乾燥し、年降水量は156ミリメートルにすぎず、降水はほとんど冬に集中する。冬は温暖だが夏の暑さは厳しい(7月の平均気温35.1℃)。古い歴史をもち、イラクの政治、経済、文化の中心地で諸官庁や外国公館があるほか、同国の工業の大半が集中し、皮革、絹・綿製品、セメント、たばこ、アラック酒などの製造業があり、石油関連諸工業が急速に発展している。鉄道はバスラ、キルクーク、モスルなど国内の主要都市と結ばれるだけでなく、シリア、トルコへ延び、ヨーロッパへも通じている。また、ティグリス川の汽船の航行、各地を結ぶ道路網や国際線の発着する空港があり、交通の要衝となっており商業活動も盛んである。市街はティグリス川の両岸に広がる。東岸にはバザール、旧王宮、民族解放記念碑、バグダード大学、イスラム教シーア派の聖地カージマイン・モスクのほかに、伝統的な商店街でイラク随一のにぎわいをみせるラシード通りもある。また、南方には新住宅地が広がり、ヨーロッパ風のレストランやホテルもみられる。西岸には大統領府、議事堂、博物館、鉄道中央駅、国際空港などがある。2003年のイラク戦争でアメリカ・イギリス軍の攻撃を受け、同年4月には両国軍に制圧された。戦後の占領統治を行った連合国暫定当局(CPA)の本部が置かれた。04年6月にはイラク暫定政府へ主権が移譲されたが、多国籍軍が駐留する。

[原 隆一]

歴史

アッバース朝第2代カリフのマンスールは、762年、ティグリス川西岸の寒村バグダードをイスラム帝国の新首都の地に選び、大規模な都市を建設して、マディーナ・アッサラーム(平安の都)と命名した。その中心部は直径約2.35キロメートルの円城で、三重の城壁をもち、内部は黄金門宮と大モスクを中心に、警察と親衛隊の屯所があるだけの広い中庭の宮域部と、その周囲を取り巻く形での官庁街や、王子たちの宮殿などのある行政区、さらにその外周にあたる高官や衛兵たちの居住区とから成り立っていて、中央の宮殿の緑色のドームは、カリフ権の象徴としてひときわ高くそびえていた。また円城外南部のカルフ地区は商工業地区にあてられ、ティグリス川の東岸には軍隊の駐屯所や王族たちの宮殿が建設された。バグダードはメソポタミアの豊饒(ほうじょう)地帯のほぼ中央にあたるばかりでなく、東西通商路の十字路にもあたっていたことから、急速に発展し、イスラム世界の政治、経済、文化の中心地として栄えた。813年と865年の内乱で市の中心は東岸に移ったものの、最盛期の9~10世紀の初めには人口150万を数えたといわれる。しかし、10世紀なかば以降になると、軍閥相互の戦闘やブワイフ朝の侵入、民衆の暴動、洪水などによって荒廃化が進み、セルジューク朝時代に一時回復したが、1258年にモンゴル軍の侵入を受けると、市民は虐殺され、まったく荒れてしまった。バグダードはもはや単なる一地方都市にすぎなくなっていたが、14世紀末と15世紀初め2回にわたってティームールの略奪を受け、15世紀なかばには廃墟(はいきょ)同然となった。16世紀にオスマン帝国の支配下に入り、1921年イラク王国が樹立されるとその首都となり、ついでイラク共和国に引き継がれ、しだいに近代都市への様相を呈した。

[森本公誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バグダード」の意味・わかりやすい解説

バグダード
Baghdād

イラクの首都。チグリス川中流河岸に臨む。ペルシア湾の河口から約 560km北西にさかのぼったところに位置し,イラクのほぼ中央にある。古代メソポタミアの中心地であったバビロンやセレウキア,クテシフォンに近い寒村であったが,762年第2代のカリフ,マンスールのとき,アッバース朝の首都に定められ,「平安の都」 (マディーナト・アッサラーム) とした。都市は円形をした三重の城壁で囲まれ,四つの門が設けられ,四つの大道が中央広場に通じ,その中央に宮殿やモスクがあった。東方におけるイスラム文化の中心地として繁栄し,8世紀から9世紀初めにかけてハールーン・アッラシード王の治世に極盛に達した。人口 200万といわれたが,内乱のため廃墟と化し,9世紀末にはチグリス川東岸に移した。 1258年モンゴルのフラグがアッバース朝を滅ぼし,バグダードは壊滅的打撃を受けた。その後 1401年にチムールに攻略され,16世紀からはオスマン帝国の領土となり,20世紀初めまで地方都市の地位にとどまっていた。第1次世界大戦のとき 1917年イギリス軍が占領し,1921年イラク独立と同時に首都となった。第2次世界大戦後は石油利権料の増加に伴って近代化が進み,商工業も発展した。イラクの政府官庁,銀行,病院などの近代的建物と,伝統的な生活様式が同居してある種の調和を保っている。イラクの工業の大半が集中し,皮革,絹・綿織物,セメント,たばこ,ビールやアラク酒などの工業が行なわれる。また文化の中心で,バグダード大学,研究所,図書館,考古博物館などがある。アッバース宮殿とムスタンシリーア法律大学 (1232創立) が博物館として現存。モスクの数も多いが,チグリス川対岸のカージミーヤにある,シーア派イスラム教の第7代イマーム,アルカージムと第9代イマーム,アルジャワードの墓と,カージマイン・モスクは,同教徒の聖地で,巡礼の中心である。イスタンブール=バグダード鉄道の終着駅であり,バスラなどとは鉄道,幹線道路で結ばれている。国際空港もある。 1991年の湾岸戦争,2003年のイラク戦争では,爆撃により軍事施設だけでなく民間施設も大きな被害を受けた。人口 575万1000(2009推計)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バグダード」の解説

バグダード
Baghdād

イラク共和国の首都。ティグリス川にまたがり,アッバース朝第2代カリフマンスールが,ティグリス川西岸に円城都市「平安の都」を築いたのがその起源。まもなく町の中心は東岸に移ったが,サーマッラー遷都時代(836~892年)を除き,バグダードはアッバース朝の首都として繁栄した。イル・ハン国ティムール帝国サファヴィー朝オスマン帝国の支配時代には一地方都市となり,17世紀に衰退をきわめた。しかし18世紀中頃から回復に向かい,1921年,イラク王国の誕生とともに首都となり,68年バース党のクーデタ後は,サッダーム・フセイン大統領の指導下に,80~88年のイラン‐イラク戦争と91年の湾岸戦争を体験。アメリカなどの経済封鎖によって恒常的な疲弊状態におかれた。2003年アメリカなどの対イラク攻撃によりバグダードは再び戦火にみまわれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「バグダード」の解説

バグダード
Baghdad

西アジアのイラク中央部,ティグリス川右岸の都市
メソポタミアの中心地で,762年アッバース朝第2代カリフのマンスールが都市建設を開始して都とした。以後,イスラーム文化の中心として繁栄し,第5代ハールーン=アッラシードのとき極盛に達し,人口は150万を超えたと推定される。1258年フラグのモンゴル軍に占領されてから衰え,16世紀以後はオスマン帝国に属した。19世紀末のバグダード鉄道問題で再び史上に現れ,1921年以後はイラクの首都となっている。

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百科事典マイペディア 「バグダード」の意味・わかりやすい解説

バグダード

バグダッド

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世界大百科事典(旧版)内のバグダードの言及

【イラク】より

…正式名称=イラク共和国al‐Jumhūrīya al‐‘Irāqīya∥Republic of Iraq面積=43万5052km2人口(1996)=2142万人首都=バグダードBaghdad(日本との時差=-6時間)主要言語=アラビア語,クルド語通貨=イラク・ディナールIraqi Dinarアジア南西部の共和国。日本の奄美諸島から北関東とほぼ同緯度の北緯30゜から37゜の間に位置し,北はトルコ,西はシリアとヨルダン,南はサウジアラビアとクウェート,東はイランに境を接する。…

【都市】より

…イスラム時代の都市には,ダマスクスやアレクサンドリアのように古代オリエントの都市をそのまま継承したものもあれば,イラクのバスラやクーファ,あるいはエジプトのフスタートのように大征服の過程で軍営都市(ミスル)として建設されたものもあった。またカルバラーやマシュハドは聖地を中心に発達した宗教都市であるが,バグダードやカイロは初期のミスルと同じくまず軍事・行政の中心地として建設された。 どの都市においても,町の中央部にあるモスク(ジャーミー)では金曜日ごとに信者による集団礼拝が行われ,また礼拝に先立つフトバ(説教)には,都市住民の総意として時の権力者の名前を読み込むことが慣例であった。…

※「バグダード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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