ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
フサイン=マクマホン書簡
フサイン=マクマホンしょかん
Husain-MacMahon Correspondence
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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メッカのシャリーフ(太守)のフサインとイギリスのエジプト高等弁務官マクマホンとの間に1915~16年に交わされた計10通の書簡。独立の承認を条件にしてフサインがオスマン帝国に対する反乱を企てることにイギリスは同意した。ただアラブ独立国家の範囲については見解の相違があり,またこれがサイクス‐ピコ協定とバルフォア宣言とも矛盾していたことが,現在に及ぶ中東紛争の遠因となっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
… 第1次世界大戦においてオスマン帝国がイギリス,フランスなどの連合国側に敗北,解体して,国民主義,世俗主義,共和制のトルコが生まれると,スルタン・カリフ制はあっさり廃止される。他方,戦時にメッカのシャリーフ,ハーシム家のフサインは,イギリスからオスマン帝国下にあったシリア,アラビア半島におけるアラブ王国独立の約束を取り付け(フサイン=マクマホン書簡),息子のファイサル1世やアブド・アッラーフ・ブン・フサインとともにアラブ反乱を開始する。ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。…
※「フサイン=マクマホン書簡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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