サヌーシー教団(読み)さぬーしーきょうだん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サヌーシー教団」の意味・わかりやすい解説

サヌーシー教団
さぬーしーきょうだん

リビアを中心とした北アフリカに影響力をもったイスラム神秘主義教団アルジェリア生まれのムハンマド・ベン・アリー・アッサヌーシーMuammad b.‘Alī al-Sanūsī(1791―1859)が1837年にメッカで創設した。1843年に本拠をリビアに移して以来、キレナイカ地方を中心に北アフリカ一帯の遊牧民の間で勢力を拡大した。20世紀初頭からフランスやイタリアの植民地支配に抵抗するジハード聖戦)を継続することによって、教団はリビア民族運動の中心的政治勢力になり、4代目の教団指導者ムハンマド・イドリース・アッサヌーシー(1889―1983)は、1951年のリビア独立とともに国王に就任した。教団の社会的影響力は王政下でも低下していったが、1969年革命によって王政を打倒したカダフィ政権は教団活動を禁止した。カダフィはイスラム解釈についてサヌーシー教団の影響を受けているが、神秘主義には反対の立場をとっており、教団の復活は困難とみられる。

[宮治一雄]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サヌーシー教団」の解説

サヌーシー教団(サヌーシーきょうだん)
al-Sanūsīya

アルジェリア出身のムハンマド・ブン・アリー・アッサヌーシー(1787~1859)により,リビアを拠点に創設されたスーフィー教団。メッカ巡礼の折,アフマド・ブン・イドリースからスーフィズムを学び,1837年メッカ郊外で弟子たちを指導し始めたが,本格的な教団の組織化はリビアに戻った後,41年頃からであった。教団はフランスやトルコの勢力と戦い,イタリアの植民地支配に抵抗した。教団のシャイフは1951年リビア連合王国の王となったが,69年のカダフィーの革命により,教団は破壊され,力を失っていった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サヌーシー教団」の意味・わかりやすい解説

サヌーシー教団
サヌーシーきょうだん
Sanūsīyah

イスラム教スーフィー教団の一派。 19世紀サヌーシー (1791~1859) により,アラビアおよび北アフリカに設立された教団。当時ワッハーブ派とともに,イスラム教の近代化をはかり,中世イスラムの来世主義を排し,ヨーロッパ列強侵入に対処するため現実イスラム社会の改革を志向し,独自の軍隊を組織し列強の侵入と戦った。この教団は,現在も北アフリカで大きな力をもっている。

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世界大百科事典(旧版)内のサヌーシー教団の言及

【キレナイカ】より

…リビア領土の画定自体が西欧列強のアフリカ分割という近代の所産であり,内陸部を含めた今日のキレナイカという単位も,1934年のイタリアの一括支配の結果である。 他方,19世紀半ばサハラ東部で始まったイスラム改革運動であるサヌーシー教団の運動は,オアシス伝いに広範な地域の民衆を組織した。リビアのオスマン帝国支配下からイタリア植民地化への移行が決定した1912年,教団の中核イドリース家はキレナイカを一円的に支配し,20年にわたり当地域はイタリアの侵入を阻止し,リビア民族の解放区の様相を呈した。…

※「サヌーシー教団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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