改訂新版 世界大百科事典 「サルマティズム」の意味・わかりやすい解説
サルマティズム
Sarmatyzm
16世紀後半から18世紀前半にポーランド貴族(シュラフタ)のあいだで支配的であった伝統主義的な政治意識,社会意識,生活態度,文化的嗜好などの総称。18世紀後半に啓蒙主義者がシュラフタの伝統主義を批判してこの言葉を使った。
東部ヨーロッパを西のゲルマニアと東のサルマティアに区別する古代ローマの地理観が,ルネサンス時代に再発見され,これを受け入れたポーランドの人文主義者たちはサルマート人こそポーランド人の祖先であるとした。1572年にヤギエウォ朝が絶えると,ヤギエウォ朝時代の版図がサルマティアと同一視されるようになり,さらにその東方への進出が祖先の失地を回復する行為として正当化されるようになった。また17世紀中ごろにはシュラフタのみがサルマート人の子孫であり,スラブ人である農民を征服した彼らが農民を支配するのは当然であると主張されるようになった。この考え方は同じ征服民族の子孫であるということで,ウクライナやリトアニアの貴族をポーランドに同化するイデオロギーとしても機能した。16世紀後半から17世紀前半,ライ麦輸出が好調でポーランドのあり方に自信をもったシュラフタは,彼らにさまざまな特権を保障した政治体制(シュラフタ共和制)や社会体制(グーツヘルシャフト)を理想化した。また17世紀に相次いだ対外戦争が非カトリック教国を相手としたものであったため,ポーランドを〈キリスト教世界の防壁〉とする考え方が生まれた。ポーランドの存在のみならず,その政治体制や社会体制までが神の特別な加護を受けたものとして絶対化された。こうしてサルマティズムはあらゆる制度改革の試みを拒否する伝統主義,外国人や非カトリック教徒の影響をポーランドから排除しようとする排外主義を生み出すが,こうした姿勢はポーランド的な独自性の主張につながるものでもあった。それを目に見える形で示したのが,当時流行したトルコ風の服装や装身具だが,この独自性の主張のなかにポーランドにおけるナショナリズムの出発点をみることができる。
執筆者:宮島 直機
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報