商品名やサービス内容,催事などを表示したポスター,看板を身体の前後につけ,盛場などを流して歩く街頭広告業の一種。その姿がサンドイッチを連想させるところからこの名称が生まれたが,最初にこの名称を紹介したのはイギリスの作家C.ディケンズだといわれる。名称はともかくとしてその発祥は古く,すでに紀元前のカルタゴでは,ガレー船の持主が使用人に船の到着と積荷の内容を記した服を着せて商人街に送りこんだという。今日みるようなサンドイッチマンは,1820年代にニューヨークのブロードウェーに出現したといわれ,30年前後のイギリスの水彩画にも,ロンドンの街のサンドイッチマンが描かれている。またイギリスでは1800年代後半にT.リプトンが紅茶の販売宣伝のためインド人の服装をした多数のサンドイッチマンを使い,話題となった。日本では1886年5月,《東京横浜毎日新聞》が《毎日新聞》と改題した際に,アメリカの新聞をまねて配達夫に紅衣,紅帽をつけて走らせたのが,サンドイッチマンの最初である。大正期になると広く使われるようになり,昭和初期の不景気の時代にはこれを職業とする人が増え,チャップリンや丹下左膳,あるいはピエロなどの仮装でパントマイムを演じるなどして,盛場の風物の一つとなった。第2次世界大戦後,東京,大阪などの大都市でいち早く復活し,1951-52年ころ東京には日当300円以上のサンドイッチマンが200人余りいたという。しかしネオンをはじめとする街頭広告や店頭広告が多彩に行われるようになってからは,サンドイッチマンの広告効果や話題性はしだいに失われてきた。
執筆者:小倉 重男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
体の前後にサンドイッチのように看板を下げ、奇抜な服装や動作で人目をひく人間広告で、プラカードを持った者もある。1820年代にニューヨークに出現したのが最初といわれ、日本では明治時代からみられたが、第二次世界大戦後、東京・銀座に現れてから全国の盛り場に普及した。大戦後まもないころの銀座では、喜劇俳優チャップリンの服装としぐさをまねたもの、当時としては珍しく仕立てのよいスーツを着こなし視線をまっすぐ前に向けたままゆっくり歩いていた者などとくに有名で、操り人形のような動きで人目をひいたり、ピエロの服装でおどけるなど多種多様であるが、声を出さないのが普通であった。
[佐藤農人]
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