喜劇,パントマイムなどに登場する喜劇的な定型人物(役柄)の呼称。また日本では混同してサーカスのクラウン(道化)をこの名で呼ぶことも多い。
コメディア・デラルテの召使役ペドロリーノPedrolino役が起源とされ,その後1547年の台本にはピエロの名で出現する。白い円錐形の帽子をかぶり,灰色の長いズボンをはいて,跳んだりはねたりするこの道化役は,アルレッキーノのような主役ではなく,軽い脇役であり,仮面をつけず,白っぽいメーキャップをするのが特徴である。フランスでは,たとえばモリエールの《ドン・ジュアン》(1665)に田舎言葉まる出しのまぬけな百姓役として登場するが,1673年,イタリア人俳優ジャラトーニG.Giaratoni(ジラトーネ)が,真っ白なダブダブの衣装に幅広の帽子をかぶったピエロとしてパリの舞台に登場して以来,ピエロは圧倒的人気を博し,定期市の娯楽の主役となった。
同じイタリア喜劇に起源をもつ白塗り,白装束の召使にジリオがあるが,ジリオがフランス語化してジルgilleとなり,17世紀に〈間抜けのジル〉役としてフランスで人気者となった。18世紀に入るとピエロとジルは混同されて,有名なワトーの絵《ジル》に見るように,青白い犠牲者風の一つの悲劇的ピエロ像に変わってゆく。
定期市の出し物を通じて民衆のもっとも代表的な喜劇的人物となったピエロは,19世紀に入って,パリの通称〈犯罪大通り〉と呼ばれたブールバール・デュ・タンプルの一角に1816年に開場したフュナンビュール座において,J.G.ドビュローの演じるパントマイムの主役として新しく生まれ変わる。ドビュローのパントマイムも,初期は他愛ないドタバタであったが,28年,C.ノディエが彼のために書いた《黄金の夢Le songe d'or》の成功によって,一躍T.ゴーティエ,J.G.ジャナンなど,知識人たちの注目を集めるようになり,ピエロは文学者など知識人の愛好の対象となった。映画《天井桟敷の人々》の中ではJ.L.バローが演じたドビュローの代表作《古着屋》(1842)は,舞台で涙を流す新しいピエロ像を生み,〈悲しきピエロ〉のイメージを定着させた。そしてこのイメージはT.deバンビルやJ.ラフォルグなどの詩《月光のピエロ》を通じて,〈涙を流すピエロ〉という新しい神話を生み出していった。これが今日のピエロ像の直接的な原型ということができよう。
また,《古着屋》の主役ピエロの持つもう一つの側面,すなわち〈犯罪者のピエロ〉は,不安な潜在意識につき動かされる近代人のグロテスクさを持ち,そこにはドイツの劇作家G.ビュヒナーの《ボイツェック》などとの共通点が見いだせる。作曲家A.シェーンベルクの《ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)(1912)は,こうした世紀末の時代における病的な死の想念にとりつかれたピエロ像を描いて,ドビュローの〈白いピエロ〉に対して,〈黒いピエロ〉ともいうべき病める精神の道化を創造している。
T.ゴーティエも,みずからピエロを主人公とした劇作《死後のピエロ》を書き,当時(19世紀中葉)の演劇の主流だったメロドラマやF.ポンサール風の悲劇よりも,バレエやパントマイムを評価した。言語を不可欠の表現手段とはしないこうした芸術への再評価は,のちJ.コポーからエティエンヌ・ドクルーを経て,M.マルソーにいたるパントマイム再評価の運動につながるとともに,バローなどを通じて,身体的表現を知的対象の主流におくA.アルトーの理論ともつながりを持つということもできよう。
→道化
執筆者:利光 哲夫
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西洋の道化役の一種。原型はルネサンス期のイタリアの即興喜劇コメディア・デラルテの、のろまでずうずうしい居候の道化役ペドロリーノ。17世紀後半にパリのイタリア人劇団によってフランス化され、白いだぶだぶの衣装を着て顔を白塗りにし、男子名ピエールの愛称を名のってボードビルやバレエで活躍した。19世紀にはパントマイムの名優ドビュローがこの役柄をさらに洗練して、まぬけだが繊細なロマンチストで恋に悩み哀愁に満ちたピエロ像を完成する。またサーカスでは、より活動的な役柄であるプルチネッラやアルレッキーノの要素が加えられ、イギリスのクラウンとも混ざり合って、ひだ付きの襟飾りと目や口の周りの赤い化粧が強調された道化となる。そのいずれもが多くの作家や画家の題材にもなり、典型として定着し、その伝統はジャン・ルイ・バローやマルセル・マルソーによって現代に伝えられている。
[安堂信也]
『田之倉稔著『ピエロの誕生』(1986・朝日新聞社)』
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…同時にコジモはフィレンツェの事実上の支配者にのし上がり,隠然たる力を振るった。その子ピエロは短命であったが,コジモの孫ロレンツォ・イル・マニフィコ(L.de’メディチ)は指導者にふさわしい人物で,内外で実質的に君主と目され,メディチ家の権勢と栄華は頂点をきわめる。事実この時代,イタリア半島の平和は彼の外交手腕によって維持されたといわれる。…
…ハカマオニゲシP.bracteatum Lindl.はオニゲシに酷似しているが,花の基部に2枚の大きな苞がついている。(4)ピエロP.commutatum Fisch.et Mey.は小アジア原産の一年草で,ヒナゲシに似るがやや小型で,花は緋紅色。花弁の基部に黒い斑紋がある。…
…20世紀の道化では,3人のかけあいによるフランスのフラッテリーニ兄弟,スイス人でヨーロッパで活躍したグロック,伝統的な衣装や化粧をせずに演じたロシアのO.K.ポポフなどが有名。ピエロとは,15,16世紀にイタリアで盛んだったコメディア・デラルテという即興喜劇のなかのふられ役,失敗ばかりする役に起源を発している。17世紀後半にまっ白に塗った顔,丸ひざのついただぶだぶの白い上着というピエロ特有の姿が考案され,以後,道化役としてなくてはならない存在となった。…
…ボヘミアでアクロバットの芸人の息子として生まれ,一家と共にヨーロッパ中を巡業,1811年パリの定期市の舞台で初めて軽業の芸を見せる。16年パリのタンプル大通りに建てられたフュナンビュール座の出し物に加わり,白塗りの顔に白い衣装をつけたメランコリックなピエロの役柄を再創造して,パリ中の人気者になった。彼の芸は,後に彼の伝記を書いた文芸評論家・小説家のジャナンJules‐Gabriel Janin(1804‐74)の熱狂的支持の影響もあって,当時の多くの文学者をフュナンビュール座の後援者とさせ,C.ノディエやシャンフルーリなどが台本を提供するほどになった。…
…【川添 裕】
[近代的パントマイムの誕生]
19世紀に入ると,パントマイムは演劇史の表面に現れ,その全盛期を迎えるにいたった。近代的なパントマイムは,フランスにおいてピエロに扮した芸人の芸として発達した。当時の代表的演者はJ.G.ドビュローであり,彼はパリ・タンプル大通りのフュナンビュール座に出演して,巧みな動きで複雑な感情を描き出し,パリ中の人気者となった。…
※「ピエロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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