パントマイム(読み)ぱんとまいむ(英語表記)pantomime

翻訳|pantomime

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パントマイム」の意味・わかりやすい解説

パントマイム
ぱんとまいむ
pantomime

黙劇、無言劇。ことばを用いず身ぶりや表情によって表現する芸能、およびその技術、台本、俳優、上演などをさす。単にマイムmimeとよばれることもある。ギリシア語のパントス(すべて)とミモス物真似(まね)を中心とした雑芸)の合成語パントミモスが語源。古くは紀元前5世紀の詩人ソプロンの発明とも、名優テレテスが手の指と舞踊のみによる表現を完成したともいわれ、前4世紀のクセノフォンの『饗宴(きょうえん)』にこの語がみえるが、芸能として独立するのはローマ時代である。歌手の歌にあわせて踊り手が身ぶりのみを演じる舞踊劇サルティカ・ファブラの物真似の要素が強調され、前2世紀ごろピュラデスによって完成されて、レダと白鳥を1人で演じ分けたバテュルスや、皇帝に寵愛(ちょうあい)されて妃となったテオドラなどの名優が輩出して一世を風靡(ふうび)した。

 ローマ帝国の解体とともにパントマイム中世の雑芸に吸収され、16世紀のコメディア・デラルテや道化の芸に受け継がれ、17、18世紀には仮面をつけ古代神話に取材した宮廷舞踊やバレエがこの名でよばれた。19世紀に入るとイギリスではグリマルディ父子の喜劇的なクリスマス・パントマイムが流行し、ローレント兄弟、フィリップ・アストレー、フランコーニ一家なども活躍し、ハンロン・リーの劇団はフランスにも巡業した。一方、パリでは名優ドビュローがフュナンビュール座で洗練されたピエロを演じて近代パントマイムの黄金時代をつくりだした。

 19世紀末にスペクタクル劇の人気や自然主義の影響で一時衰退し、サーカスクラウンの芸によってやっと伝えられていたパントマイムは、20世紀初頭にはチャップリンをはじめとする多くの名優によって無声映画のなかで再生するとともに、演技の造形的要素を重視するコポースタニスラフスキーメイエルホリドなど現代劇の指導者によって再評価された。そして俳優養成に利用され、そこから、台詞(せりふ)抜きの身体訓練がパントマイムとよばれるようになった。同時に、独立した舞台芸術としてのパントマイムもフランスのエチエンヌ・ドクルーらによって探究され、ジャン・ルイ・バローやマルセル・マルソーがそれに加わって、時間と空間の圧縮や体の各部の外界に対する反応を表現手段として、人間の心理だけでなく宇宙との交感まで表そうとする現代マイムが創造されてゆく。バローはその成果を前衛劇『母をめぐって』や映画『天井桟敷(てんじょうさじき)の人々』(1944)で示し、マルソーはピエロを現代化したビップを演じて沈黙の詩劇を目ざす「様式のマイム」を完成する。そのほかフランスではウォルフラム・メーリングのマンドラゴール座やジャック・ルコックの学校が現在も活躍している。旧チェコスロバキア出身のミラン・スラデク率いるドイツのケルン・パントマイム劇団や、ヘンリック・トマシェフスキ主宰のポーランド・バレエ・マイム劇団なども独自の活動を続けている。

 東洋では黙劇として独立したものはなかったが、エジプトの祭儀や古代インドのシバの舞踊などにその要素がみられる。日本でも『日本書紀』中の火闌降命(ほのすそりのみこと)が海に溺(おぼ)れるさまを表す演技をはじめ、神楽(かぐら)、壬生(みぶ)狂言、歌舞伎(かぶき)のだんまり、舞踊劇の一場面などに事実上パントマイムにあたるものは少なくない。

[安堂信也]

『M・マルソー、H・イエーリンク対談、尾崎宏次訳『パントマイム芸術』(1971・未来社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パントマイム」の意味・わかりやすい解説

パントマイム
pantomime

ことばを用いず,身ぶり,表情によって表現する芸能。黙劇,無言劇ともいう。古代ギリシア語の pantōs (すべて) と mimos (物まね) の合成語の pantomimosが語源。前 22年頃のローマで音楽を伴奏として,仮面を用いた1人の演技者によるパントミムスが完成された。中世に一度姿を消したが,この伝統はコメディア・デラルテなどを通じて全ヨーロッパに伝わった。 17世紀のヨーロッパで,神話を題材とする仮面舞踊劇 (バレエ) が,ローマの例にならいこの名で呼ばれた。 18世紀のイギリスではジョゼフ・グリマルディがクラウン (道化) の芸とイタリア即興劇とを結びつけてイギリス・パントマイムを完成し,19世紀のフランスではジャン=バティスト・ガスパール・ドビュローがその詩的で繊細なピエロ役で人気を集めた。その後エチエンヌ・ドクルー,ジャン=ルイ・バロー,マルセル・マルソーらがその伝統を再興した。

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