サンビターレ聖堂(読み)サンビターレセイドウ(その他表記)Chiesa di San Vitale

デジタル大辞泉 「サンビターレ聖堂」の意味・読み・例文・類語

サンビターレ‐せいどう〔‐セイダウ〕【サンビターレ聖堂】

Basilica di San Vitale》イタリア北東部、エミリアロマーニャ州の都市ラベンナにある教会。6世紀半ば、東ローマ帝国の時代に建造された。八角形の平面構成をもつ堂内には、ユスティニアヌス1世や皇后テオドラを描いた荘厳なモザイクがあり、ビザンチン美術傑作として知られる。1996年、「ラベンナの初期キリスト教建築群」の名称世界遺産文化遺産)に登録された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンビターレ聖堂」の意味・わかりやすい解説

サン・ビターレ聖堂
さんびたーれせいどう
Chiesa di San Vitale

北イタリアのラベンナにあるビザンティン様式の聖堂。アドリア海に近い小都市ラベンナは西ローマ帝国滅亡後、6世紀から8世紀に東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のイタリア統治の総督の居住都市として重要な位置にあった。当時のラベンナの栄光を伝える教会堂群(ガッラ・プラキディア廟堂(びょうどう)、サン・タポリナーレ・ヌオーボ聖堂、サン・タポリナーレ・イン・クラッセ聖堂など)が今日も建っているが、その代表が547年献堂のサン・ビターレ聖堂である。

 520年代の司教エクレシウス時代に都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)の皇帝ユスティニアヌスと皇妃テオドラ、およびユリアヌス・アルゲンタリウスの援助で建造が開始され、ウルシキヌス、ビクトール両司教を経て大司教マクシミアヌス時代に完成した。外観はイタリア特有の簡素なれんが積みの壁体で、クーポラ(円蓋(えんがい))をもつ八角堂であるが、内部は東端に内陣部が張り出してバシリカ型会堂の機能を果たすものとなっている。円蓋を支える円筒形のタンブールの重さが8本の円柱に分散し、その周囲を二層構成の周歩廊が巡る。コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂をはじめとする6世紀のビザンティン建築の直接の影響を示し、都から工人が招かれたことは確かである。とくに内陣部を飾るモザイク壁画は、都に当時の遺例が少ないこともあって、ユスティニアヌス帝時代の初期ビザンティン美術黄金時代を代表するものとなっている。祭室を飾る「栄光のキリスト」、その左右下方部のユスティニアヌスとテオドラを描いた2枚のパネル、内陣を飾る旧約聖書物語諸図、内陣天井の「神の小羊」とペルシアじゅうたんのような植物文様など、金色、赤、緑、青の美しい色彩を用いてまさに絢爛(けんらん)豪華である。

[名取四郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンビターレ聖堂」の意味・わかりやすい解説

サン・ビターレ聖堂[ラベンナ]
サン・ビターレせいどう[ラベンナ]
San Vitale, Ravenna

イタリア北部の町ラベンナにあるユスチニアヌス朝時代の聖堂。ほぼ完全な形で残っているビザンチン建築の聖堂として有名。司教エクレジウスによって起工され,547年大司教マクシミアヌスによって献堂された。ナルテックスをもつ八角形プランの聖堂で,内陣部側壁のモザイクが名高い。アブラハムと天使,イサクの犠牲,預言者や福音書記者など旧約聖書を題材にしたものや,随臣を伴うユスチニアヌス1世と皇妃テオドラなどが描かれ,ビザンチン・モザイクの代表的作品として知られる。ラベンナの初期キリスト教建築物群の一つとして 1996年世界遺産の文化遺産に登録された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android