北イタリアのラベンナにあるビザンティン様式の聖堂。アドリア海に近い小都市ラベンナは西ローマ帝国滅亡後、6世紀から8世紀に東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のイタリア統治の総督の居住都市として重要な位置にあった。当時のラベンナの栄光を伝える教会堂群(ガッラ・プラキディア廟堂(びょうどう)、サン・タポリナーレ・ヌオーボ聖堂、サン・タポリナーレ・イン・クラッセ聖堂など)が今日も建っているが、その代表が547年献堂のサン・ビターレ聖堂である。
520年代の司教エクレシウス時代に都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)の皇帝ユスティニアヌスと皇妃テオドラ、およびユリアヌス・アルゲンタリウスの援助で建造が開始され、ウルシキヌス、ビクトール両司教を経て大司教マクシミアヌス時代に完成した。外観はイタリア特有の簡素なれんが積みの壁体で、クーポラ(円蓋(えんがい))をもつ八角堂であるが、内部は東端に内陣部が張り出してバシリカ型会堂の機能を果たすものとなっている。円蓋を支える円筒形のタンブールの重さが8本の円柱に分散し、その周囲を二層構成の周歩廊が巡る。コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂をはじめとする6世紀のビザンティン建築の直接の影響を示し、都から工人が招かれたことは確かである。とくに内陣部を飾るモザイク壁画は、都に当時の遺例が少ないこともあって、ユスティニアヌス帝時代の初期ビザンティン美術黄金時代を代表するものとなっている。祭室を飾る「栄光のキリスト」、その左右下方部のユスティニアヌスとテオドラを描いた2枚のパネル、内陣を飾る旧約聖書物語諸図、内陣天井の「神の小羊」とペルシアじゅうたんのような植物文様など、金色、赤、緑、青の美しい色彩を用いてまさに絢爛(けんらん)豪華である。
[名取四郎]
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