ビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世(在位527-565)の妃。コンスタンティノープルの大競技場の野獣の飼育係アカキオスの次女という卑しい身分ながら,美貌と機知に恵まれ舞台に立って成功を収めた。即位以前の青年将校ユスティニアヌスと知り合い,市民から貴族への身分の昇格を得,525年に結婚。2年後に夫が皇帝となるや皇妃として絶大な権力を振るい出した。宮廷内外の人事,外交交渉,法令の発布などおよそ政務に関して皇帝から相談を受けないことはなかったといわれる。首都をほぼ10日間ゆるがせたニカの乱(532)では弱気な夫を励ましてこれを武力鎮圧させた。宗教的には国策とは逆の単性論を支持し,彼らの教会・修道院の建築,布教に多額の寄付をし単性論派の領土の離反を防いだ。救貧院,病院,売春婦の厚生施設の建築にも私費を投じた。548年夫に先んじて癌で死亡し,その亡きがらは皇帝と同じく首都の聖使徒教会に葬られた。
執筆者:和田 廣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(在位527~565)の妃。コンスタンティノープルの競技団体「緑組」の獣番を父とし、女優となって数年間エジプト、シリアなどを巡業したのち首都に戻り、ユスティニアヌスと知り合う。ユスティニアヌスが伯父ユスティヌス帝を動かして元老院議員と女優との通婚禁止令を無効とさせ、またテオドラを貴族身分に昇格させたことにより、525年彼女はユスティニアヌスと結婚。527年4月彼が伯父帝と共治帝となり、テオドラはアウグスタ位を授与された。532年民衆の不満に端を発した「ニカの反乱」に際しては、彼女は断固たる態度をみせ、逃亡を考える夫を翻意させた。司教や文官、武官の人事に少なからぬ影響力を振るい、宗教政策では夫に抗して単性説を支持し、教会、修道院や慈善施設に多額の寄付をした。単性説派の史料はテオドラを称揚しているが、歴史家プロコピオスは『秘史』で彼女の素性の卑しさや強欲を悪意と偏見に満ちた筆で誹謗(ひぼう)している。北イタリアのラベンナのサン・ビターレ聖堂に残るモザイク肖像画は有名。
[後藤篤子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
497頃~548
ユスティニアヌス1世の后。動物使いの子として生まれ,アレクサンドリアやアンティオキアで踊り子をしていたが,見初められて525年に結婚。ニカの反乱のとき持ち前の気丈さで逃亡寸前の皇帝を阻止。単性論を支持して皇帝にも影響を与え,売春婦の更生にも関心を持った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加