日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンボーン」の意味・わかりやすい解説
サンボーン
さんぼーん
David Sanborn
(1945―2024)
アメリカのジャズ・サックス奏者。フロリダ州タンパに生まれ、幼児期にミズーリ州セントルイスに移住。中学生になると、子どものころかかった小児麻痺(まひ)のリハビリテーションの目的でアルト・サックスを吹き始める。ブルース、ジャズに興味をもち14歳ごろから地元のブルース・バンドと共演。
1963年ノースウェスタン大学に入学し音楽を専攻、1965年からアイオワ大学でも音楽を習得。1967年サンフランシスコに移りポール・バターフィールド・ブルース・バンドの一員としてプロ活動を開始、1968年このバンドで初レコーディングを経験。1971年ニューヨークに移り、歌手スティービー・ワンダーのバンドに加わり、アルバム『トーキング・ブック』(1973)に参加。
このころからセッション・ミュージシャンとしての活動も始め、デビッド・ボウイ、ジェームズ・ブラウン、B・B・キングなどのサイドマンを務める。1973年ピアノ奏者、作・編曲家ギル・エバンズのオーケストラに参加、本格的ジャズ・ミュージシャンとしての経歴をスタートさせる。ギルのアルバム『スヴェンガリ』(1973)、『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』(1974)、『プリースティス』(1977)などに参加し、バンド・カラーを彩る重要な役割を果たす。1975年ころからセッション・ミュージシャンとしてもいよいよ多忙を極め、ポール・サイモンPaul Simon(1941― )、マイケル・フランクスMichael Franks(1944― )、ジェームズ・テーラーJames Taylor(1948― )らのアルバムに参加、そして人気フュージョン・グループのブレッカー・ブラザースに加わり、彼らの初リーダー・アルバムに名を連ねる。
1977年、名声のわりには遅い初リーダー作『テイキン・オフ』を録音、1978年のアルバム『ハート・トゥ・ハート』でファンク色の強いフュージョン・ミュージシャンとしてトップの位置に躍り出る。他方セッションマンとしての仕事も相変わらず続け、ジャズ、ロックにまたがる膨大なアルバムに彼の個性的なソロが顔を出す。1980年代に至っても多くのリーダー作を出し続け、大衆的人気も維持してきたが、1989年、先鋭的な試みで知られるクラブ「ニッティング・ファクトリー」に出演、1990年には、アルト・サックス奏者ジョン・ゾーンによる、フリー・ジャズの開祖オーネット・コールマンのカバー・プロジェクト「スパイ vs. スパイ」のライブに参加する。そうした流れのなかで、1991年ワーナー・ブラザーズからエレクトラに移籍し、ハル・ウィルナーHal Willner(1957―2020)のプロデュースによるアルバム『アナザー・ハンド』では大きく作風を変える。だが従来のファンク路線も捨て去ったわけではなく、1992年にはベース奏者マーカス・ミラーMarcus Miller(1959― )のプロデュースによる『アップフロント』を出し好評を得ている。
彼のアルト奏法は個性的な音色から繰り出される哀感のこもったフレージングにより、一聴しただけで判別できるほどのオリジナリティをもっている。また技術的にも非常に優れ、セッションマンとしても高く評価されている。1970年代に出現した多くのフュージョン・プレイヤーのなかでは、真にオリジナルな個性をもつ数少ないミュージシャンの一人である。
[後藤雅洋]