ザールラント(読み)ざーるらんと(英語表記)Saarland

翻訳|Saarland

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザールラント」の意味・わかりやすい解説

ザールラント
ざーるらんと
Saarland

ドイツ南西端にある連邦州の一つ。州都ザールブリュッケン。州域はザール川およびその支流流域にあり、南はフランスに、西はルクセンブルクに、北から東にかけてはラインラント・プファルツ州に接する。フランス語名サールSarre。面積2569平方キロメートル、人口106万8700(2000)。北部はフンスリュックHunsrück山地の一部をなす結晶片岩や珪岩(けいがん)の山地(最高地点は595メートル)で、広く森林に覆われている。そのほかは比較的開析の進んだ丘陵地帯で、森林、牧草地、耕地が混在する。気候は西岸海洋性で、年間800ミリメートルほどの降水は周年的であり、年平均気温は8~9℃である。ザールブリュッケンの北から東にかけては森林が広く残り、ほぼこれに沿って炭田が分布する。

 19世紀後半から炭田の開発と製鉄業が活発になり、この地方は貧しい農業地帯から近代工業地帯へと変化した。製鉄鉄鋼、機械などの工業は、州西部のディリンゲンDillingen an der Saarから南部のザールブリュッケンを経て東部のノインキルヘンNeunkirchen(人口5万0900。2000)に至る地帯に集中する。かつては石炭産業が活発で炭鉱労働者が多かったが、1960年代のエネルギー革命以降、産業構造の改変が進み、第三次産業就業者の比率が高まった。農業は、フランス国境に近い部分では肥沃(ひよく)な土壌があり、やや活発であるが、その他の地域では経営規模が10ヘクタール以下の農家が多いこともあって、あまり振るわない。穀物栽培と、肉牛乳牛飼養が一般的に行われている。

[朝野洋一]

歴史

ザールラントの名称は、1918年までは行政上も、政治的にも、歴史的にも存在しない。帝国騎士の小所領からなるこの地域は、17世紀の三十年戦争以後フランスの影響を受け、ルイ14世に一時占領された(1680~97)。フランス革命期にはライン左岸地域とともにフランスに併合されたが、ナポレオン敗北後のパリ条約(1815)で、その大部分がプロイセンに、南東部がバイエルンに編入された。プロイセン・オーストリア戦争の際、ナポレオン3世はここをうかがうが、その関心は石炭など重要資源にあった。第一次世界大戦後フランスはここを併合しようとするが失敗し、ベルサイユ条約で国際連盟監督下の自治地域となり、1935年住民投票の結果ドイツに復帰した。第二次世界大戦後フランスはここをドイツから分離し経済的に統合しようとするが、1954年のザール地位協定が翌年の住民投票で否決されると断念し、56年10月ザール条約を結び、ザールラントはドイツ連邦共和国に編入された。

[吉田輝夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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