改訂新版 世界大百科事典 「電気機械工業」の意味・わかりやすい解説
電気機械工業 (でんききかいこうぎょう)
電気の利用という共通の目的をもつ機械器具の総称が電気機械で,電気機械の生産を受け持つ機械工業の一分野が電気機械工業である。〈日本標準産業分類〉(1993年10月改訂)における電気機械器具製造業の分類では,(1)発電用・送電用・配電用・産業用電気機械器具製造業,(2)民生用電気機械器具製造業,(3)電球・電気照明器具製造業,(4)通信機械器具・同関連機械器具製造業,(5)電子計算機・同付属装置製造業,(6)電子応用装置製造業,(7)電気計測器製造業,(8)電子部品・デバイス製造業,(9)その他の電気機械器具製造業,の9分類となっている。しかしこのうち(8)のデバイス製造業には半導体や集積回路などが含まれ,電子部品工業というべきものである。
電気機械工業の歴史
日本の電気機械工業は電信サービスの開始によって始められた。1869年(明治2)に東京~横浜間に官用電信設備が敷設され,73年には工部省の製機科で国産の通信機が製作された。民間においては75年に田中製作所(東芝の前身),81年に明工舎(沖電気工業の前身)などで製造された。また日本で最初の発電機は,元工部省技手の三吉正一が83年に設立した三吉工場で85年に製造された。後に三吉工場は三吉電機工場と改称し,92年には箱根電灯所に発電機を納入した。この水力発電所は国産機による最初の水力発電所である。また三吉の設立した白熱舎が90年電球の国産化に成功した。その後重電機器,無線通信機器,家庭電気機器へという順序で発展を遂げてきたが,第2次大戦前の電気機械工業は国産技術が確立されていなかったため,海外メーカーの技術に負うところが多かった。重電機器の分野では,1909年田中製造所を継承した芝浦製作所がアメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)と大型発電機器に関する技術提携を行い,大型発電機器の国産化が本格化した。また家庭電気機器の分野でも,白熱舎を継承した東京電気(現,東芝)が1905年に同じくGE社と技術提携を結んだ。これによりGE社が東京電気の株式の51%を保有することになるが,この技術提携により東京電気は電球やラジオ受信機で高品質の製品を発売し,業界における確固たる地位を築きあげた。この芝浦製作所と東京電気が39年に合併して東京芝浦電気(現,東芝)となった。なお,第2次大戦後の高度成長期以降,家電製品の中心となった電気洗濯機,電気冷蔵庫は1930年に,電気掃除機は31年に,エアコンディショナーは35年に国産化されている。
第2次大戦直後の一時期は民間需要もほとんどなく,また日立製作所,東芝,三菱電機,富士電機製造(現,富士電機)の重電4社はGHQによる〈過度経済力集中排除法〉の対象とされ,また長期の労働争議などにより,経営は困難となった。しかし,その時期を過ぎると,電気機械工業は飛躍的な発展を遂げることになる。その要因としては,重電機器の分野では,(1)傾斜生産方式による基幹産業に対する重点投資政策,(2)1950年に勃発した朝鮮戦争による特需,(3)52年に発表された電源開発基本計画に基づく電源開発プロジェクト,である。技術的側面では,1951年に三菱電機がアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社との間で全製品に関する包括的技術提携を行い,また東芝もGE社製品の販売権および日本における特許代理人の地位を再び確保した。富士電機製造は西ドイツのジーメンス社と,日立製作所はアメリカのGE社やイギリスのバブコック社とタービン,発電機,ボイラーなどの技術提携を行った。一方,家電の分野では,60年ころから日本は高度成長時代に入り,国民の耐久消費財に対する根強い需要をベースに急激な発展をみせた。1951年にはラジオの民間放送が開始され,ラジオ受信機の高級化,ハイファイ化が進むと同時に,53年に開始されたテレビ放送は,家庭電気機器メーカーに飛躍的発展のきっかけを与えることになった。なおテレビ受像機は1952年に国産化されている。その後,白黒テレビからカラーテレビへ,電気冷蔵庫,電気洗濯機,電気掃除機,電気釜等々,つぎつぎと新たな製品の需要が増大し,家庭電化ブームが発生した。55年当時のテレビ生産は早川電機工業(現,シャープ),松下電器産業の2社が大きくリードし,東芝,三菱電機,日立製作所等重電各社は遅れをとっていたが,それ以降,富士電機製造を除く重電3社は家電の分野に積極的に参入した。こうしたなかで,1950年にテープレコーダー,55年にトランジスターを使ったラジオの商品化に成功したソニーは,トランジスターラジオとテープレコーダーの需要急増により,この分野での独走体制をいち早くつくりあげ,その後,68年独自の方式によるカラーテレビの成功とも相まって,家電業界の一画にくい込んだ。
70年代初めまでは,好不況の波はあったものの,電気機械工業はほぼ順調な伸びを示してきた。その結果,家庭電気器具ではカラーテレビの普及率が90%を超え,また電気洗濯機,電気冷蔵庫,電気掃除機等も75年当時で80~90%台に達しており,新規需要があまり望めない状態にまで普及した。一方,輸出は1970年ころから活発となり,重電,家電製品の両者が先進国,発展途上国向けとも急激に拡大したが,その結果,70年代末から80年代にかけてカラーテレビなど一部の商品では輸出国日本と輸入国との間で貿易摩擦が発生した。また1970年代末ころからはIC,半導体技術が爆発的に発展している。80年代,家電部門ではビデオテープレコーダー(VTR)が主要な商品となり,また新たにコンピューターと通信技術の進展により情報通信という新しい分野が注目を浴びている。これに対し重電機部門は,大型設備投資の低迷,低成長時代の到来などにより極度の不振の状態にある。
電気機械工業の規模と企業
家庭電気製品から大型発電機まできわめて幅広い製品を含む電気機械工業は,日本の産業のなかでも大きな地位を占めている。1995年における電気機械工業の生産額を通産省の《機械統計年報》によってみると,28兆4660億円で機械工業全体の39.5%を占めている。内訳をみると,電子管・半導体素子および集積回路が6兆1930億円で最も大きく,次いで電子応用装置が6兆0285億円,そのうちでも電子計算機および関連装置が5兆1960億円と大きなシェアを有している。通信機器関連3兆1830億円,民生用電子機器2兆4400億円がこれに続く。かつて高度成長期の花形であった発電機器,電動機,変圧器等に代表される重電機器は,設備投資の停滞等により,そのシェアは低下した。そしてエレクトロニクスの進展によって,通信機器およびその関連分野が伸びている。
日本の1995年の電気機械の輸出額は10兆6470億円,輸入額は3兆2770億円で,83年に比較して輸出は2.3倍,輸入は5.6倍と輸入の伸びが輸出のそれを大幅に上回っている。70年代に比べ輸入の伸びが大きいのは日本企業の海外生産が進んだことを表している。しかしそれでも輸出額は輸入額の3倍強もあり,日本の電気機械工業の輸出への依存度は高い。輸出では通信機器,半導体素子等,電気回路用品等がとくに多い。またVTRは日本が開発したVHSおよびベータ方式が世界の大半のシェアを獲得し,西ヨーロッパ市場では大きな貿易摩擦問題となったので,日本メーカーは,80年代後半から輸出に代えて現地生産を積極的に推進した。それ以前にもアメリカ向けカラーテレビ生産は1970年代に発生した二重価格問題に端を発し,ほとんどの日本メーカーが現地生産方式に切り替えている。西ヨーロッパ向けVTR輸出も現地生産ないし現地企業との合弁,技術提携が進展した。次に最近の傾向として電気機械工業における中進国の台頭がある。日本の電気機械工業,とくに家庭電気機器工業は,大量生産体制の整備,応用技術の消化能力,品質管理の優秀性等により,国際市場でトップの座を構築してきたが,近年,台湾,韓国,香港,メキシコ等の中進国が低賃金を武器として,海外市場における力を急速に強めてきている。テレビ,テープレコーダー,ラジオなどのいわば技術陳腐化製品では,輸出市場でのシェアを徐々に高めつつあり,この点からも日本メーカーは海外における現地生産を強いられてきている。
生産を担う企業をみると,電気機械工業には日本を代表する一流企業が多い。総合電気メーカーとしては,日立製作所,東芝,三菱電機の3社があり,家庭電気機械メーカーには松下電器産業,三洋電機,ソニー,シャープなどがある。またコンピューターや通信機メーカーとしては,日立製作所,東芝以外に日本電気,富士通,沖電気工業などがある。一方,世界的にみると,アメリカのIBM社が世界のコンピューター業界のみならず,電気機械工業のトップの地位にある。続いてアメリカのGE社,ドイツのジーメンス社があり,日本の企業では日立製作所,松下電器産業,東芝,三菱電機,日本電気,ソニーなどが世界でも上位に入っている。世界の巨大電気機械企業の大半はアメリカ,西ヨーロッパおよび日本の会社であるが,韓国の三星グループおよびラッキー・グループの2社が上位30社に入っていることは,中進国企業の成長を示している。
電気機械工業の問題点と課題
日本の電気機械工業は,第2次大戦前から戦後の一時期までは,基本的には海外の技術を導入することから始まった。しかし,戦後の高度成長に支えられた旺盛な国内需要によって,導入した海外技術に改良,改善を加え,また自主開発による技術をも交えて,品質本位の製品を生産する体制をつくりあげてきた。このことによって日本製品は世界市場でも絶大な信頼性を獲得し,輸出市場も拡大してきた。反面,とくに家電製品にみられるように海外市場における貿易摩擦をひき起こし,大きな政治問題にまで発展するに及んだ。将来にわたってもこの問題に根本的な解決を見いだすことは難しい。日本の電気機械メーカーには,さらなる現地生産の推進,産業協力などが要請されることになろう。
また家電製品についてみると,すでに各種の製品とも国内における普及率は相当高まり,70年代から80年代にかけてのカラーテレビやVTRのようなヒット商品に続く,次の時代を担っていく商品を模索している状態にある。技術普及型あるいは技術陳腐化の進んだ製品については中進国や発展途上国からの追上げがみられるし,新たな事業分野,新たな製品開発が急務となっている。さらに,国内市場における商品のライフサイクルは短くなる傾向が強く,メーカーとしても市場ニーズの適確な把握が必要である。他方,重電機器についてみれば,経済が世界的規模で中・低成長時代に入り,大規模な設備投資が望めないため,大幅な需要増大は期待できない。こうしたなかで重要視されているのは,マイクロエレクトロニクス技術の応用分野が拡大してきていることであろう。さまざまな機器にマイクロコンピューター技術を付加して新たな機能をもたせ,付加価値を高めていくことが多くみられる。こうした分野への転換が今後ますます進むであろう。高度情報化社会の到来が叫ばれるなかで,コンピューターと通信機器も重要性を増していこう。高度情報化社会の本格化には相当の時間を要すると思われるものの,これは最終的には家庭をも巻き込んだ一大ネットワークを構築することが目的とされており,これらに関連する機器の製造は将来増大することが見込まれている。
執筆者:古矢 真義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報