シャカ(英語表記)Shaka

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャカ」の意味・わかりやすい解説

シャカ
Shaka

[生]1787頃.
[没]1828.9.22.
ズールー族首長在位 1816~28)。南アフリカズールー王国を打ち立てた。強力な軍隊を組織して近隣部族の統合に着手し,南アフリカ全域を荒廃させたことで知られる。ズールー族の首長センザンガコナと,近隣に住むランゲニ族の元族長の娘ナンディの間に生まれたが,母とともに追放され,ムテトワ族のもとで暮らした。23歳のとき,ムテトワ帝国の皇帝ディンギスワヨにより戦士に加えられ,軍人としての才能を発揮。1816年に父センザンガコナが世を去ると,ディンギスワヨはシャカをズールー国王の座につけた。シャカは軍を改革し,まず武装を従来の投げ槍から鋭い穂先のついた短い槍に変えて,近距離で戦闘する方式をとった。次いで年齢集団別の部隊編制を導入した。シャカは敵を殲滅するまで戦い,生き残った部族民を自軍に加えた。1823年には,ズールー王国南方は焼け落ちた集落が連なる荒れ野と化し,生き延びた者は恐れをなして遠くケープ植民地まで離散した。シャカの侵略は,1820年代初めに内陸高原部で起こった争乱「ムフェカネ」の間接的な原因となった。ズールー族から逃れ定住地を求める諸部族が死闘を繰り広げた結果,内陸の部族社会は破壊され,200万人が命を落とした。これにより 1830年代のボーア人によるグレート・トレックを抑えられる者がいなくなり,結果的に白人勢力の拡大につながった。1827年に母ナンディが亡くなると,シャカは精神に異常をきたし,1828年9月,2人の異母弟によって殺害された。

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改訂新版 世界大百科事典 「シャカ」の意味・わかりやすい解説

シャカ
Shaka
生没年:1787ころ-1828

19世紀初頭,南アフリカ東海岸部に興ったズールー王国の王。ズールー族の王センザンガコナの息子として生まれたが,母の追放とともに故郷を離れ,ムセスワ族の王ディンギスワヨの下で育った。この間戦士としての軍事訓練を受けて頭角を現し,1816年軍司令官となった。同年センザンガコナが死去すると,ディンギスワヨの援助を得て王の後継者を殺し,ズールー族の王位に就いた。彼はズールー族の軍事組織を改め,従来の長槍(投槍)に代えて手に持ったまま闘う短槍を採用し,強力な軍事王国をつくり上げた。その軍事力を使ってまずムセスワ族を統合し,ついでムフラトゥゼ川の戦でヌドワンドウェ族を破り,ナタール一帯を統合した。この時期を〈衝突の時代〉という。24年,ポート・ナタール(現,ダーバン)のイギリス人入植者と友好関係を結んで鉄砲を入手し,軍事力を強化した。これによって26-27年にヌドワンドウェ族を再度攻撃し,またベジェ族と戦って勝利をおさめ,ズールー王国は南アフリカ東海岸部の一大王国へと発展した。27年母の死で喪に服し,翌年異母弟のディンガネとムフランガナに暗殺された。
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シャカ(民族)
Śaka

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャカ」の意味・わかりやすい解説

シャカ(ズールー人の王)
しゃか
Shaka
(1787ころ―1828)

南アフリカのズールー人の王。18世紀末、小部族であったズールーの王の息子として生まれたシャカは、父センザンガコナに背いて故郷を離れ、当時一大勢力を誇っていたムセスワ人首長ディンギスワヨのもとで成長した。そこで軍事的訓練を受けたのち、故郷に戻りズールーの王となった。彼はズールーの軍事組織と武器を改革し、また「牛の角」とよばれる戦闘隊形を使って強大な軍事王国をつくりあげた。シャカがその軍事力を使って周辺の諸部族を統合していく時期(1820~28)は「ムフェカネ(衝突)」の時代とよばれている。まずムセスワ人を統合し、ついでヌドワンドウェ人を破りナタール一帯を併合した。1824年にはポート・ナタール(現在のダーバン)のイギリス人と友好関係を結び鉄砲を入手した。そして26~27年にはふたたびヌドワンドウェ人、ベジェ人と戦い勝利を収めた。しかし28年弟のディンガネとムハランガナによって暗殺された。

[林 晃史]

『マジシ・クネーネ著、土屋哲訳『偉大なる帝王シャカⅠ・Ⅱ』(1979・岩波書店)』


シャカ(民族)
しゃか

サカ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャカ」の解説

シャカ
Shaka

1787頃~1828(在位1816~28)

19世紀初頭,南アフリカ東海岸部のズールー王国を強大な軍事国家に導いた伝説的王。センザンガコナ王の息子。ズールー人の軍隊,戦闘方法を改め,周辺諸国を攻めて併呑した。1928年異母弟ディンガネらに殺される。

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普及版 字通 「シャカ」の読み・字形・画数・意味

貨】しやか

売りかけ。

字通」の項目を見る


仮】しやか

かる。

字通「」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内のシャカの言及

【サカ】より

…【小谷 仲男】 時代が下って前1世紀ころサカ勢力は大月氏の西方移動におされて,西北インドに侵入した。インドでは一般にシャカŚakaの名で呼ばれる。最初の重要な王はマウエースMauēsで,ギリシアやペルシアにならって発行した貨幣や碑文にその名がみえる。…

【タカベ(鰖)】より

…本州中部以南に分布しているが,伊豆七島などでは漁獲量も多く,水産上重要な種の一つ。伊豆半島でシャカ,高知県柏島でベント,鹿児島県でホタと呼ぶ。鮮やかな青緑色の体に,眼の後方から尾びれに走る鮮やかな黄色縦帯のある美しい魚である。…

※「シャカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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