百科事典マイペディア 「シャーマン号事件」の意味・わかりやすい解説
シャーマン号事件【シャーマンごうじけん】
→関連項目大院君|李朝(朝鮮)
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朝鮮、李朝(りちょう)末のアメリカ商船シャーマン号の焼き払い事件。1866年8月、ジェネラル・シャーマンGeneral Sherman号は朝鮮の開国を目的として宣教師を伴い、洋貨を満載して中国の天津(てんしん)を出発し、大同江口から平壌付近にさかのぼり、交易を求めた。朝鮮側は交易とキリスト教が国禁であるとして退去を求めたが、同船はこれに応ぜず、かえって発砲したため、憤激して同船を焼き払い、乗組員を殺害した。同船の行方不明に驚いたアメリカ政府は清(しん)国政府に調査を依頼し、さらにアジア艦隊を派遣したが、真相が把握できなかった。その後71年アメリカ艦隊はこの事件の結末をつけるため江華(こうか)島を一時占領したが、朝鮮軍民の抗戦にあい、撃退されて不成功に終わった。
[朴 慶 植]
…いずれも大院君政権(1863‐73)の鎖国攘夷政策(衛正斥邪)の下で起きた。丙寅洋擾は1866年(丙寅の年)の二つの事件,ゼネラル・シャーマン号事件とフランス艦隊襲撃事件の総称である。前者は,同年9月にアメリカの武装商船のシャーマン号が交易を求めて大同江を溯上し,交戦の末,平壌付近で焼き沈められ,乗組員全員が死亡した事件である。…
※「シャーマン号事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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