日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタール」の意味・わかりやすい解説
シュタール
しゅたーる
Georg Ernst Stahl
(1660―1734)
ドイツの医学者、化学者。プロテスタントの牧師の子としてアンスバハに生まれる。イエナ大学で医学を修めたのち、ワイマール侯侍医、ハレ大学教授(1694)を経て、プロイセン宮廷医(1715)となる。『真正医学論』(1707)や『硫黄(いおう)についての論争』(1718)など多数の著作を発表した。
医学理論において、生物と無生物とを峻別(しゅんべつ)し、前者にはその活性原理である非物質の理性的「アニマ」が存在し、生命諸活動を統轄するというアニミズムを唱えた。疾病はこのアニマの誤謬(ごびゅう)や外部からの阻害から生じ、治療はアニマによる自然的過程を援助することにあり、医化学を否定して瀉血(しゃけつ)などの排出療法を旨とした。このアニミズムは当時の機械論的趨勢(すうせい)に対する反動であったが、18世紀後半の生気論の台頭の先鞭(せんべん)となった。
化学における彼の影響は著大であった。冶金(やきん)や硫酸製造が重要産業であったこの時代には古代以来の四元素説は不十分なものとなっていた。シュタールはベッヒャーの色や可燃性の原質「油性の土」をフロギストン(燃素)と改名し、燃焼とは可燃物中のそれが空気中に逸出する過程であるとした。金属や硫黄、木は燃焼するとそれぞれフロギストンおよび金属灰、煙霧(水と結合して硫酸になる)、灰を生成する。植物は空気中のフロギストンを吸収してそれに富み、金属灰は木炭からそれを得て金属となる。フロギストン自体は単独では存在せず、直接の知覚はできないとした。また、定量的不整合、性質を担う元素という古い思考様式などの弱点をもっていた。しかし、酸素などの気体の知られていなかった当時、酸化現象一般をフロギストンという物質の移動によって統一的に理解した理論は化学者の支持を受け、18世紀末にラボアジエによってとどめを刺されるまで一時代を画した。
[肱岡義人]
『川喜田愛郎著『近代医学の史的基盤 上』(1977・岩波書店)』▽『島尾永康著『物質理論の探求』(岩波新書)』