日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブールハーフェ」の意味・わかりやすい解説
ブールハーフェ
ぶーるはーふぇ
Herman Boerhaave
(1668―1738)
オランダの臨床医学者。1693年ハルデルウェーク大学で医学の学位をとり、ライデンで開業した。1701年ライデン大学講師に迎えられ、1709年臨床医学と植物学の教授となり、1718年から化学の教授を兼ねた。彼は実地臨床医学教育に力を注ぎ、世界で初めての「ベッドサイド・ティーチング」を男女各6、計12病床で行った。前歴の調査、疾病の経過、臨床観察を軽視せず、体温の測定、顕微鏡の臨床応用、尿の化学検査、死後の解剖などを重視した。当時彼の名声は高まり、各国の医学生が臨床講義に出席のため、ライデンに集まった。ヒポクラテスの教義を守り、物理学派や化学派に偏らず、折衷派であった。ライデン大学学長(1714~1715)、パリ王立科学アカデミー会員(1715)、ロンドン王立協会会員(1730)などとなった。門下には、スイスの生理学者A・ハラー、ウィーン医学派の開祖ファン・スウィーテンGerard Van Swieten(1700―1772)、その後継者ハエンAnton de Haen(1704―1776)、スウェーデンの植物学者リンネら、優秀な学者がいる。日本の蘭学(らんがく)に及ぼした影響も大きい。
[古川 明]