シュトラッサー(読み)しゅとらっさー(英語表記)Gregor Strasser

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュトラッサー」の意味・わかりやすい解説

シュトラッサー
しゅとらっさー
Gregor Strasser
(1892―1934)

ドイツの政治家。薬剤師で、第一次世界大戦に将校として参加した。復員すると反共的な義勇軍Freikorpsで活躍し、1921年ナチス党に入り、1923年のヒトラー一揆(いっき)に参加した。ヒトラーの入獄中党の再建に努め、北ドイツで党勢を拡大した。弟のオットーOtto Strasser(1897―1974)とともに、ナチス党綱領を反資本主義的、社会革命的方向で実現しようとするが、1930年グレゴールがヒトラーに屈服したのに対して、オットーはナチス党から分裂し、「革命的ナチス闘争団」(「黒色戦線」)を組織した。1932年末、シュライヒャーの右翼連立政府への参加をめぐりヒトラーと対立して党内の職を失い、1934年6月レーム事件の際殺害された。

[吉田輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュトラッサー」の意味・わかりやすい解説

シュトラッサー
Strasser, Gregor

[生]1892.5.31. 南バイエルン,ガイゼンフェルト
[没]1934.6.30. ベルリン
初期ナチス党の幹部。 1923年のミュンヘン一揆に参加後,投獄されたが 24年釈放され,ただちに国会議員当選。 25年以降ベルリンでSA (ナチス突撃隊) を組織,北部ドイツでナチス党の勢力を拡大,党組織部長として A.ヒトラーの重要な協力者の一人となった。しかし彼の反資本主義的傾向は政権獲得後のヒトラーの政策と相いれず,34年6月 E.レームらとともに粛清された。著書『ドイツをめぐる闘争』 Kampf um Deutschland (1932) ほか。

シュトラッサー
Strasser, Otto

[生]1897.9.10. 中部フランケン,ウィンツハイム
[没]1974.8.27. ミュンヘン
ドイツの右翼政治家。 1919年ミュンヘンのレーテ共和国打倒に参加。 24年以降ナチス党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』で執筆。のちナチスに暗殺された兄グレゴールとともに最初 A.ヒトラーに協力したが,その後批判に転じ,33年ウィーンに亡命。その後プラハ,チューリヒ,パリで「反ヒトラー運動」を展開したが,43年以後はカナダに亡命。 55年に帰国し,ドイツ国家民主党の前身である右翼運動の指導にあたった。主著は『ヒトラーと私』 Hitler und Ich (1948) 。

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