イギリスの小説家。労働者の息子としてノッティンガムに生まれ、14歳で学校をやめ工場で働く。第二次世界大戦中は空軍に入り、無電技手としてマラヤに勤務。戦後の若い労働者を描いた『土曜の夜と日曜の朝』(1958)で一躍有名になった。以後、非行少年の感化院での清潔でみごとな反抗を描いた『長距離走者の孤独』(1959)、寓話(ぐうわ)『将軍』(1960)、詩集『鼠(ねずみ)たち』(1960)、少年時代とマラヤ生活を扱った自伝的小説『ドアの鍵(かぎ)』(1961)、ソビエト紀行『ボルゴグラードへの道』(1964)、現代社会の壮大な教養小説を目ざす『ウィリアム・ポスターズの死』(1965)、『燃える樹(き)』(1967)、『見えない炎』(1974)の三部作のほか、『華麗なる門出』(1970)、架空の全体主義国を描いた寓話小説『ニヒロンの旅』(1971)、『素材』(1972)などで旺盛(おうせい)な活躍をみせた。彼の小説は、下層階級の生活感情や意識を簡潔で鮮明な文体で描いた初期の長・短編と、中期以降の自己探究的で告白的な長編と、初期の特徴を生かした短編とに大別されるが、その底に流れているのは、H・G・ウェルズ、D・H・ローレンスの作品に連なるきわめてイギリス的なノンコンフォーミズム(反体制)の文学伝統である。1984年(昭和59)国際ペンクラブ東京大会出席のため来日した。
[鈴木建三]
その後も精力的に創作活動に励み、労働者階級に生まれた少年が、自らを取り囲むさまざまなレベルでの「渦」に巻き込まれまいと必死になるようすを描いた長編小説『渦をのがれて』(1987)、自伝『鎧(よろい)なき人生』(1995)、短編小説『ワニの遊び場』(1997)などを次々と発表した。人気作家としてその名を広く知られるようになった作者自身の境遇の変化に伴い、作品に投影される政治色は以前に比べて薄れた感は否定できないものの、2001年刊行の長編小説『誕生日』に至るまで、先にあげた文学伝統は一貫して作品から作品へと引き継がれている。
[松本和子]
『関口功訳『将軍』(1970・早川書房)』▽『上野瞭訳『マーマレード・ジムのぼうけん』(1971・あかね書房)』▽『鈴木建三訳『ロシアの夜とソビエトの朝』(1973・晶文社)』▽『河野一郎訳『華麗なる門出』上下(1974・集英社)』▽『橋口稔訳『グスマン帰れ』(1976・集英社)』▽『栗原行雄訳『ドアの鍵』『素材』(1976・集英社)』▽『橋口稔訳『見えない炎』(1977・集英社)』▽『河野一郎訳『屑屋の娘』(1977・集英社)』▽『出口保夫訳『私はどのようにして作家となったか』(1978・集英社)』▽『小野寺健訳『ニヒロンへの旅』(1979・講談社)』▽『橋口稔訳『ノッティンガム物語』『ウィリアム・ポスターズの死』(1980・集英社)』▽『鈴木建三訳『燃える樹』(1980・集英社)』▽『河野一郎訳『悪魔の暦』(1983・集英社)』▽『山田順子訳『渦をのがれて』(1990・福武書店)』▽『永川玲二訳『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)』▽『丸谷才一・河野一郎訳『長距離走者の孤独』(新潮文庫)』
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