インド・ムスリム連盟の指導者、初代パキスタン総督。パキスタンでは「建国の父」「偉大な指導者」とよばれている。カラチの皮革商の家に生まれ、イギリスに留学し、弁護士の資格をとり、ボンベイ(現ムンバイ)で開業した。1906年、国民会議派議長のナオロジーの秘書となり、政治生活に入った。インド・ムスリム連盟の大会にも参加し、1913年には国民会議派の指導者ゴーカレーについてイギリスに渡った。1916年、インド・ムスリム連盟の議長としてラクナウ協定を国民会議派との間で結び、インドの自治を目ざして両派の合意をもたらし、1920年代初めまでヒンドゥー、ムスリムの協調のために活躍した。その後1930年代前半までは政治から退いていたが、1937年、州議会選挙で連盟の敗北を機に、連盟の再建に努め、1940年には連盟議長として、ムスリムが多く住んでいる地域の分離を目標とした「ラホール決議」を通過させた。こののち連盟は、パキスタンの分離独立を目ざしてイギリスと国民会議派を相手に、非妥協的に交渉した。1947年8月インドから分離独立したパキスタン自治領の初代総督となり、強力な指導者として国づくりにとりかかったときに死去した。
[加賀谷寛]
〈パキスタン建国の父〉とされる政治家。ホジャ派ムスリムの皮革商の子としてカラチに生まれた。1896年弁護士の資格を得てロンドンから帰国後,ボンベイで弁護士として名をなし,1906年D.ナオロージーの秘書を務めたことを機に政治活動に入った。初期においてはヒンドゥーとムスリムの統一に基づく民族運動の路線を進み,16年ムスリム連盟議長となり,インドの自治に関する国民会議派・ムスリム連盟協定の成立に尽力し,自治要求連盟でも積極的役割を果たした。しかし20年のガンディー指導の非暴力的抵抗闘争には強く反対し,会議派を離れた。20-30年代初め,長くロンドンに滞在する中で,インド・ムスリム独自の利害擁護の方向に傾いた。34年帰国後は,分裂・停滞していたムスリム連盟の組織再建に着手し,37年以降一定の成果を収め,ガンディー・国民会議派との対抗姿勢をいっそう鮮明にした。40年の連盟ラホール大会でヒンドゥー・ムスリム〈二民族論〉を展開し,ムスリム多住地区の分離をうたう〈パキスタン決議〉を採択させた。以後連盟を学生・農民を含む広範な層にまで基盤を有する大衆的政党へとしだいに強化し,イギリス統治者に対して,国民会議派と同等の交渉相手としての位置に高めた。独立後初代のパキスタン総督となったが,パキスタンをイスラム国家でなく,世俗国家とすべきであることを宣言。48年11月病死し,新生国は早くも政治的危機を迎えた。
執筆者:内藤 雅雄
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1876~1948
パキスタン建国の父。ホージャ派ムスリム出身で,インド・ムスリムのなかの少数派に属した。初めはインド国民会議派の穏健派として活動。ムスリム連盟に正式に加入したのは,連盟創設から7年経った1913年であった。16年に連盟の議長に選出されると,連盟と会議派の政治協定(ラクナウ協定)の締結に尽力した。しかしガンディーの指導する非協力運動に反対し,会議派から離れた(20年)。20年代から30年代初頭にかけては,イギリスで生活するなど政治的に孤立したが,34年に帰国。連盟の組織を再建し,40年には二民族論にもとづくパキスタン決議を採択させ,第二次世界大戦中に連盟の組織を地方にまで伸ばし,ムスリム大衆の間に根づかせることに成功した。パキスタン独立とともに初代総督に就任したが,48年病死した。近代的・合理的かつ冷徹な性格の政治家として知られ,パキスタンは世俗国家であるとした。
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…そして初め国民会議派に所属して活動していた社会主義者や共産主義者たちは,45‐47年にこれから離れ,それぞれ独自の政党へと結集していく。国民会議派は決して特定の宗教・宗派の成員のみから成るコミュナルな組織ではなく,すべての住民・領域を統合した形でインドをイギリスから独立させることを望んだが,1930年代後半から急速にムスリム大衆を把握し,ムスリム多住地域の分離を強調するM.A.ジンナー指導下のムスリム連盟との長い交渉を成功させ得ず,結局は現実的な立場からインドの分割を容認することになる。 47年の分離独立後,国民会議派は中央およびすべての州の政権を掌握し,ネルーとパテールの共同による卓越した指導力で安定した政府を樹立し,また外交面では米ソいずれにも偏らない非同盟政策を推進することで新興の第三世界諸国の中での地位を高めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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