インド北部,ウッタル・プラデーシュ州の中央部にある州都。首都デリーの東南東約485km,グムティ川の右岸に発達する行政・文化都市。カーンプルに次いで州内第2位の人口をもつ。人口218万5927(2001)。ガンガー(ガンジス)中流域の交通の要衝に位置するため,町の起源は13世紀にさかのぼる。16世紀中期には,シェール・シャー藩王国の一中心都市として栄えたが,1775年以降,ムガル帝国下のアウド藩王国の主都として発展した。しかし,1856年内政不安を理由に東インド会社領に併合され,連合州の主都となる。翌57年の第1回反英独立戦争(インド大反乱,セポイの反乱)では激戦地の一つとして有名である。町にはイスラム教徒支配時代の多くのモスクや庭園,宮殿が残され,古くより〈庭園都市〉として知られた。なかでも,1784年の建立とされる白亜の大理石造のイマームバーラー・モスクは有名。独立後は,製紙,印刷,金属加工などの近代工業が発達した。また,ながく藩王国の主都であったことから,金・銀糸刺繡,シンチュウ容器,銀製品,象牙細工などの伝統的在来工業の発展も著しい。
執筆者:中山 修一
ラクナウ博物館は1863年創設されたウッタル・プラデーシュ州立博物館で,歴史,考古両部門よりなる。動物園内にある歴史部門は動物学などの陳列を主体に,ガンダーラ彫刻,貨幣,チベットの美術品も展示する。カイセル・バーグ地区にある考古部門は同州各地から出土した多数の石彫を所蔵し,マトゥラー郊外のカンカーリー・ティーラー出土のジャイナ教彫刻をはじめとして,マトゥラー彫刻の優品を集めている。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
インド北部、ウッタル・プラデシュ州の州都。ガンジス川の支流グムティ川右岸に位置する。人口220万7340(2001)。州の行政の中心地であるとともに、医科大学、カニング大学、イサベラ・ソーバン女子大学からなるラクナウ大学や、1863年創立のラクナウ博物館が所在するインド有数の教育、文化の中心地である。工業も盛んで、伝統的な金銀細工などに加え、繊維、印刷、製糖、機械工業などの近代工業が発展している。16世紀のムガル帝国時代より北部の重要都市で、1775年同帝国下のアウド藩王国の都となり繁栄した。しかし1856年東インド会社領に併合され、連合州の州都となった。1857年のインドの大反乱では、反乱の一中心地で攻防の拠点となった。公園や庭園が多く「庭園の都」とよばれるが、市街地の原型はアウド藩王国のアサフド・ダウラの時代にできたといわれる。当時の遺跡も多数あり、なかでもイマーム・バラ大寺院がみごとである。
[中山晴美]
インドのウッタル・プラデーシュ州の州都。ゴーマティー川に面し,ガンジス川中流域の交通の要衝として知られる。歴史は13世紀までさかのぼる。1775年,アワド太守が都を置くと,北インドのシーア派イスラーム文化の中心として発達した。1857年のシパーヒーの反乱では,反乱軍側の拠点の一つとなり,激戦が戦わされた。1916年,インド国民会議派とムスリム連盟の協力を取り決めたラクナウ協定がこの町で締結された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…人口1億3911万(1991)は同国第1位,面積29万4000km2は第4位,人口密度475人/km2は,ビハール州に次いで第4位という巨大な州。州都はラクナウ。前10世紀ころには,北西のインダス川方面からインド・アーリヤ人が進出し,インド亜大陸支配の核心地域を形成しはじめた。…
※「ラクナウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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