フアン・カルロス1世
フアンカルロスイッセイ
Juan Carlos I
- 職業・肩書
- 元スペイン国王
- 国籍
- スペイン
- 生年月日
- 1938年1月5日
- 出生地
- イタリア・ローマ
- 学歴
- サラゴサ陸軍士官学校,マドリード大学〔1961年〕卒
- 受賞
- 国際陸連功労金賞,ユネスコ平和賞〔1995年〕
- 経歴
- ブルボン王家の直系で1931年亡命した国王アルフォンソ13世の孫、その三男ドン・フアン・デ・ブルボン(バルセロナ伯爵)の長子。亡命先のイタリア・ローマで生まれたが、’48年帰国。フランコ将軍の元で皇太子教育を受け、陸・海・空士官学校、マドリード大学で学ぶ。’57〜59年陸・海・空軍の将校として訓練を受ける。’62年ギリシャのソフィア王女と結婚。’69年7月22日フランコ総統から次期国王に指名される。’75年11月20日フランコの死去により王政復活、同月22日即位。民主化を推進し、’76年二院制の国会などを骨子とする民主化法案が国民投票で承認され、’77年総選挙を実施、’78年新憲法を発布、立憲君主制となる。’81年2月フランコ派軍人がクーデターを起こすと、軍最高司令官としてこれを批判し、事態を収拾した。2010年5月肺疾患の手術を受ける。“民主化の象徴”として国民的な人気を誇ったが、2012年経済危機のなか、アフリカで象狩りをしていたことが発覚。2013年には二女クリスティーナ王女の夫の公金横領事件もあり、国民の王室への失望が広がっていき、2014年6月2日フェリペ皇太子に譲位することを発表、19日退位した。存命中の退位判断は異例のことだった。1980年初来日。ビラジョン著「国王―スペイン国王ドン・ファン・カルロスI世との対談」がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報
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フアン・カルロス1世
フアン・カルロスいっせい
Juan Carlos I
[生]1938.1.5. ローマ
スペイン王(在位 1975~2014)。フルネーム Juan Carlos Alfonso Victor María de Borbón y Borbón。1931年のスペイン共和政の成立で亡命したアルフォンソ13世の第3子ドン・フアン皇太子の第1子。イタリア,スイス,ポルトガルで教育を受け 1955年帰国。陸軍,海軍,空軍の各士官学校およびマドリード大学で学んだ。1969年フランシスコ・フランコ・バアモンデ総統から後継者に指名され,1975年11月22日フランコ総統の死後,国家元首および国王の位についた。1976年以降政党活動の自由を認め,国会を二院制議会(→両院制)に改めるなど漸進的な自由化政策をとり,スペインの民主化を進めた。国民の間で高い人気を保ったが,21世紀初頭に王室の財務をめぐる不正疑惑などが浮上した。2014年6月退位の意向を表明。同 2014年6月19日息子のフェリペ6世が即位した。(→スペイン史)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「フアン・カルロス1世」の解説
フアン・カルロス1世
スペイン国王。スペイン内戦中の1938年、亡命先のイタリア・ローマで生まれる。内戦後の75年、独裁政治を続けてきたフランコ総統の死に伴い、スペイン国王に即位。即位後は選挙による新憲法の承認など民主化への転換を進め、81年には民主化を脅かすクーデターを阻止するなど、国民の支持を集めた。2014年6月、国王からの退位を自ら表明。長男のフェリペ皇太子が跡を継ぐことが首相により発表された。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
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フアン・カルロス1世(フアン・カルロスいっせい)
Juan Carlos I, rey de España
1938~(在位1975~)
スペイン国王。1931年に亡命したアルフォンソ13世の孫。父バルセロナ伯とフランコとの間の合意により,フランコのもとで教育を受けた。体制移行期の改革に関与し,スペインの民主化に重要な役割を果たした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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