アメリカの代表的マルクス経済学者で、1949年以来『マンスリー・レビュー』Monthly Review誌を主宰。ニューヨーク市生まれ。1931年ハーバード大学を卒業し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスに留学、34年から46年までハーバード大学のスタッフ。58年からコーネル、スタンフォード、エール各大学の客員教授、75年からニューヨークのニュー・スクール・フォア・ソシアル・リサーチの教授を務めた。
1939年の論文「寡占状況下の需要」で寡占企業についての「屈折需要曲線」という説明原理を提出し、近代経済学の理論家としての評価を確立したが、やがてその立場をマルクス経済学に移した。42年『資本主義発展の理論』でマルクス経済学者としての地位を不動のものとし、66年の『独占資本』(バランとの共著)は、独占資本の構造分析と独占資本主義の動態分析に新生面を開いた。また『現代資本主義』(1972)、『アメリカ資本主義の動態』(マグドフHarry Magdoffとの共著、1972)、『アメリカの繁栄の終焉(しゅうえん)』(1977)などで、アメリカ経済と世界経済の分析を展開している。他方、社会主義諸国の分析と第三世界論にも大きな足跡を残しており、この面では『革命後の社会』(1980)が包括的である。なお、49年以来主宰する『マンスリー・レビュー』誌は、「独立した社会主義者の雑誌」として、世界中の進歩派に一貫して大きな影響を及ぼしてきた。
[岸本重陳]
『都留重人訳『資本主義発展の理論』(1967・新評論)』▽『小原敬士訳『独占資本』(1967・岩波書店)』▽『岸本重陳訳『アメリカ資本主義の動態』(1978・岩波書店)』▽『伊藤誠訳『革命後の社会』(1980・TBSブリタニカ)』
アメリカのマルクス経済学者。ハーバード,ロンドン,ウィーンの諸大学に学び,のちハーバード大学の助手となったが,思想上の理由により大学を去った。1949年以来,L.ヒューバーマン(彼の死後はH. マグドフ)とともに月刊誌《マンスリー・レビューMonthly Review:An Independent Socialist Magazine》の編集者として幅広い評論活動を続けている。近代経済学者としての彼の名を高めた論文《寡占状態における需要》(1939)において寡占価格の硬直性を説明した屈折需要曲線の理論を提示して寡占企業の行動の分析に一石を投じたが,彼の関心は,ミクロ的な静態論からマクロ的な動態分析へと進み,ケインズ経済学の内在的批判を通じてマルクス経済学に傾いていった。《資本主義発展の理論》(1942)およびP.A.バランとの共著《独占資本》(1966)がその成果であり,実証的で教条にとらわれない姿勢が示されている。
執筆者:中村 達也
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…金融資本という用語と重ね合わせて〈金融寡頭制financial oligarchy〉という表現もしばしば用いられている。 ヒルファディングが観察の対象とした時期以後,とくにアメリカで進行した事態を念頭におきながら,P.スウィージーは,独占体の支配構造における銀行の優位を含意するヒルファディングの概念規定を批判し,産業に対する銀行の優位は独占形成期に過渡的に現れる現象であるとして,誤解をまねく〈金融資本〉にかえて〈独占資本monopoly capital〉という用語を用いることを主張した(《資本主義発展の理論》1941,第14章)。ヒルファディングは,資本主義の新しい段階の発展傾向を一般的に明らかにすることを意図しているのであり,他の国や他の時期との対比において形成期のドイツ金融資本の特徴を明らかにしようとしているわけではない。…
※「スウィージー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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