キリスト教徒として最初に殉教した,1世紀の聖人。生没年不詳。ラテン語でステファヌスStephanus,フランス語でエティエンヌÉtienne。使徒たちの伝道活動の補佐役に選ばれ,ユダヤ社会の貧者の世話にあたった。しかし,神を冒瀆した罪に問われ,石打ちの刑を受けて殉教。その執行に立ち会ったのがサウロ(後のパウロ)である(《使徒行伝》6~7章)。約400年後に遺骨と考えられたものの一部が発見され,ラウレンティウスの墓の中に納められたが,そのおり,後者の遺骨は横に寄って場所をあけたと言い伝えられる。イタリア,フランスで広く崇敬され,この聖人にささげられた教会はブールジュの大聖堂など数多い。美術には石打ちによる殉教場面がもっとも多く表される。シュロ,聖書に加えて,持物は殉教具の石(血がついていることもある)で,本の上,頭の上などに載っていることが多い。祝日は12月26日。
執筆者:荒木 成子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,〈十二使徒〉はルカまたはルカ時代(80年代~90年代)のキリスト教の理念であって,史的存在ではない。またルカによれば,原始教会がまずエルサレムに成立し,ここから,エルサレム教会に対するユダヤ教徒の迫害を契機に,その際律法と神殿に対する批判のゆえに殉教したステパノのグループ(いわゆる〈ヘレニスタイ〉)に担われて,福音がサマリア,シリアへと宣教されていき,それにまずペテロが,次いでパウロが加わって,福音はエーゲ海周縁諸都市から遂にはローマにまで達した(60ころ)といわれる。このような福音宣教の経過は,大筋において史実に合致するが,エルサレムからローマへというキリスト教の直線的展開の描写には,〈エルサレム中心主義〉に傾くルカの傾向が強く出ていて,必ずしも史実と一致しない。…
…1世紀後半の最初期キリスト教におけるユダヤ人伝道者。《使徒行伝》6章5節によれば,ステパノと同じくユダヤの律法から自由なヘレニズム的キリスト教を宣教した7人の指導者の1人とされる。ステパノの迫害ののちサマリアに伝道し,そこでシモン・マグスを入信させ(《使徒行伝》8:1~13),さらにエルサレム南方のガザでエチオピア人の宦官に洗礼を授けた(同8:26~39)とされる。…
…地鳴きは,ウグイスの〈笹鳴き〉に似ていて,チョッチョッと鳴く。【斎藤 隆史】
[民俗]
ミソサザイは,ヨーロッパでは旧年(過ぎ去っていく年)の象徴とされ,毎年聖ステパノの日(キリスト教会最初の殉教者ステパノの祝日,12月26日)に新年の象徴であるロビンに追われるという。そのためイギリスとフランスでは,この日に子どもたちがミソサザイをたくさんつかまえ,死骸をもって家々を回り,金銭をもらい歩く習俗もあった。…
※「ステパノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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