シュメール(英語表記)Sumer

翻訳|Sumer

デジタル大辞泉 「シュメール」の意味・読み・例文・類語

シュメール(Sumer)

古代バビロニア南部の地名。また、そこに住む民族。前3000年ごろに都市国家を建設、楔形くさびがた文字青銅器を発明した。スメル。

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精選版 日本国語大辞典 「シュメール」の意味・読み・例文・類語

シュメール

  1. ( Šumēr ) 古代メソポタミア南部地方(現在のイラク共和国の南部)。世界最古の文明の起こった地方、およびその民族、言語。紀元前三〇〇〇年頃から都市国家を建設し、楔形文字を発明した。シュメール人の系統は不明。スメル。キエンギ(ル)。

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改訂新版 世界大百科事典 「シュメール」の意味・わかりやすい解説

シュメール
Sumer

古代バビロニア沖積平野の中・南部をさす地名。正しくはŠumer。現代のイラク南部の2行政区,ディーワーニーヤDī-wānīya,ナーシリーヤNāṣirīyaにほぼ相当する。この地は前3千年紀末には,KI.EN.GI(-RA)と書かれ,シュメルと読まれたらしい。シュメールはまた,この地で発達した世界最古の都市文明や,この文明の創始・発展に決定的に貢献した民族や,その言語の名をも示す。

この地はティグリス,ユーフラテス両大河の運ぶ肥沃な沈泥(シルト)によってつくられた沖積平野の中・下流地帯の低湿地で,アシの生い茂る沼沢や鹹湖があり,陸地の大部分は春に草の生えるだけの荒地であった。気候は前6000~前5000年ころも現在とほぼ似た半乾燥・亜熱帯状態にあった。この地への人類の居住は,沼沢地の魚,水鳥,ナツメヤシ,野猪に頼る狩猟・採集民によって始まったと考えられるが,前5000年ごろ(前3千年紀半ばまでの年代はなお推測的),最南部のエリドゥの小神殿(1辺3m)に初めて定住の痕跡を残したのは,人工灌漑技術を伴う穀物(大麦,エンマ小麦,小麦),果樹(ナツメヤシ)の栽培者であった。これがウバイド期(前5000ころ-前3800ころ)初期で,ウバイド期は金石併用期に属し,一般に小集落が主であるが,末期には一部の集落が早くも町邑的規模に達し,エリドゥには基壇上に立つ縦23.5m,横13.5mの壮麗な煉瓦造の神殿が造られた。ウバイド期住民と歴史時代のシュメール人との関係は明確でないが,彼らを原シュメール人と考える学者もいる。この期中に沖積平野の中・南部の優位が確立し,シュメールの地が発展の先頭に立つことになる。

次の考古学的時期であるウルク期(前3800-前3000ころ?)には轆轤(ろくろ)製の無文土器と円筒印章の製作が始まり,末期(ウルクⅧ~Ⅳ層)にはウルクを先頭にシュメール南部に都市形成の動きがおこり,ウルクは面積約100haに達し,大神殿がいくつも造営され(最大は縦80m,横30m),青銅器が製作され,Ⅳ層ではついに粘土板に刻まれた絵文字群が出現する。そこには支配者をさす称号〈エン〉,人々の集りをさす〈ウ(ン)キン〉,役職や手工業職種を示す文字,シンボルによる神名,牛・ロバ・羊・ヤギ・大麦・ナツメヤシ・犂(すき)・魚類を示す文字などが,複雑な数体系を暗示する数字とともに書かれていた。シュメール語を話す人々をおもな担い手とする最初の都市文明が,ここに圧倒的なエネルギーを伴って出現した。ウルクとほぼ同じ頃,エリドゥ,ウル,ギルス,ラガシュ,ウンマなども都市的規模に達した。ジャムダット・ナスル期(前3000ころ?-前2800ころ?)にはシュルッパク,ニップール,キシュ,エシュヌンナが都市的規模に発展し,また文字の表音文字としての使用法が現れ,絵文字が写す言語がシュメール語であることが確認される。

シュメールは前3千年紀初めから初期王朝期と呼ばれる時代(前2800ころ?-2350ころ。Ⅰ~Ⅲ期に区分)に入る。この時期にはシュメールでは前代からの都市のほか,アダブ,バド・ティビラ,ラルサ,ザバラムなどの都市が登場し,北に接するアッカド地方にもキシュのほか,シッパル,アクシャクなどセム人の影響の強い都市国家が出現した。なかでもキシュはこの時期のⅠ期から最も重要な都市国家の一つとなり,〈シュメール王名表〉と呼ばれる伝承においても,〈洪水後〉最初に覇権を確立した王朝とされており,セム人の,この時期における軍国的都市国家時代の形成に演じた役割は無視できない。なおシュメールの歴史における第3の人種要素として,フルリ人と関係のあるスバル人Subareansの存在を指摘する学者もいる。初期王朝期には王を指す称号ルガルlugal(字義は〈大きい人〉)がⅠ期より(〈ウル古拙文書〉),支配者をさす別の称号としてのエンシensi(語源はなお不確定)がⅢ期に現れ,社会組織がいっそう凝縮的となるとともに,都市国家間の同盟と戦争が繰り返されることとなった。

 考古学的にはこの時期の開始は底平上凸(プラノ・コンベックスplano-convex)煉瓦の使用によって確証されるが,歴史的にはⅠ期(前2800ころ?~前27世紀)は過渡期で,キシュの覇権とシュメール諸都市の都市同盟の時代であった。Ⅰ期中にウルク市の面積が400haに達したという。Ⅱ期(前27世紀~前26世紀)には,伝承においてキシュ第1王朝の最後から2番目の支配者とされる(エン)メバラゲシの銘文が出土しており,その子アガおよび彼らと戦ったという別の伝承をもつ,後の大英雄叙事詩(《ギルガメシュ叙事詩》)の主人公,ウルクの王ギルガメシュの史的実在性も確実視される。〈王名表〉でキシュに続いて全土を支配したとされるウルクの諸王には,ほかにも何人か英雄伝説を有する者がいる。ウルクには全長9kmの城壁が建設された。Ⅲ期(前26世紀-前2350ころ)になると,有名なウルの王墓が造られ,そのすぐ後にウルのメスアンネパダやラガシュのエアンナトゥムなどの新興の支配者たちが一時的に覇権を掌握するが,都市国家間の戦争が常態となる。このⅢ期に初めてシュメール,アッカド全体が一つの政治舞台となり,対エラム防衛の戦略上の拠点ギルス・ラガシュ複合都市国家に,エアンナトゥムを第3代の支配者(エンシ)とする,ウルナンシェの創始した9代にわたる王朝が出現し,彼らの政治的碑文が初めてこの地の政治史の再構成を可能にする。ことに第7,8代の支配者と最後の奪王・改革王ウルカギナの3代の治世からは,Ⅲ期の初めあるいは半ばに位置するとされる〈シュルッパク文書〉よりさらに詳細かつ凝縮的となった行政・経済文書が出土して,緊張の極に達したシュメール都市国家の権力基盤や社会・経済組織解明の鍵を提供する。ウルカギナはラガシュ都市国家の宿敵ウンマの支配者ルガルザゲシに倒され,ルガルザゲシはウルク王となってシュメール,アッカドの全土を征服するが(ウルク王の在位25年),セム系のアッカド王サルゴンに敗れ,シュメールの地はアッカド帝国の支配下に入った。しかしアッカドの統治下においてもシュメール都市は存続し,そこではシュメール語が日常語として使用されていた。

アッカド王国(前2350ころ-前2170ころ?)がグティ人の侵入によって衰えた頃,まずラガシュにシュメール人の独立都市王国が栄え始め,グデア(在位,前2143ころ-前2124ころ)の時代にはアッカド帝国の広い交易圏を受け継いだ富裕な小領土国家が確立された。グデアにやや遅れてグティ人を山岳地帯に追い返し,シュメール人の支配を回復,〈四方世界の王〉を称したウルク王ウトゥヘガルの覇権は,その配下(子ないし弟との説もある)のウル軍事総督ウルナンムの継承するところとなり,ここに5代約1世紀に及ぶ,シュメール人によるシュメール,アッカドの統一王国ウル第3王朝(前2112-前2004)が成立し,〈シュメール・ルネサンス〉が実現した。

 創始者ウルナンムの現存世界最古の法典の編纂(〈ウルナンム法典〉)や,広大な地域にわたる検地と属州画定は,官僚群を支柱とする中央集権的国家の側面をもつこの王朝の開幕を飾るにふさわしい。第2代シュルギの治世後半はこの王朝の最盛時で,王は王族を今や地方総督を意味するにいたったエンシに任じ,度量衡を統一し,またアッカドの王たちにならって王の神格化をはじめ,自らの神殿を造らせるなどして,支配の強化を図った。現在ウルのほか,ラガシュ,ウンマ,ドレヘム,ニップールから巨大な統計的記録を含む多数の行政・経済・司法文書が出土し,シュルギの時代を中心としてウル第3王朝時代の2万3000の経済文書が公刊されているほどであるが,この時代の体系的な社会経済像はなお模索の段階にある。しかし都市国家時代の,多数の割当地保有者層を中核とする社会が変質し,より複雑化したことは確実である。シュルギ治下のウルにおけるジッグラト(人工の高い重層基壇の上に小祠を頂く聖塔)の造営や,数千頭の牛や数万束のアシを一括した記録の出現に見られるような繁栄や国家的収納機構の整備にもかかわらず,シュメール地方の土地生産力はかなり低下していた。やがて第4代のシュシンの時代にはアムル人(アモリ人(びと))の侵入が目だち,第5代イビシンの治世の末年にはその配下の武将に支配地域の大部分を奪われた後,王朝はエラムによって滅ぼされた。以後メソポタミアの地がアムル人によってますますセム化されていく過程で,政治中心はイシン,ラルサ,バビロン,エシュヌンナ,マリの5強に絞られ,バビロンのハンムラピによる統一の下でシュメール人はアムル人に吸収され,シュメール人の歴史的役割は終りを告げる。

シュメール文化は,シュメール語が日常語としては死語となった後も,メソポタミア最後の独立時代である新バビロニア時代まで,古典文学や宗教生活の中に文化語として生き続けた。またウルがセレウコス朝まで,ウルクはパルティア時代まで重要都市として存続したことに示されるように,シュメールの都市はメソポタミア文化の中核として生き続け,またその周辺やその後の古代諸文明にも広範な影響を及ぼし続けた。シュメール時代の文化的達成のおもなものとしては,(1)都市文明と都市国家の創始,(2)文字,楔形文字の創始,(3)統一王権国家における書記官僚群の寄与,(4)法的手続の整備や法典(楔形文字法)の編纂などに見られる法的市民生活の発展,(5)神話,儀式,祭文,呪文,神殿,ジッグラト,宗教的文学を伴う多神教宗教の発展,(6)閏月を置く太陰暦を主とする暦法,六十進法,天文学,占星術,初歩的幾何学・代数学などが挙げられる。
アッカド →シュメール美術 →バビロニア
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュメール」の意味・わかりやすい解説

シュメール
しゅめーる
Shumer

古代メソポタミア南部に位置する地域名で、古代文明発祥の地。スメルSumerともいう。のちに、バビロニアとよばれる地方のほぼ北半分がアッカド、ペルシア湾に臨む南半分がシュメールとよばれた。ただしシュメールという呼称はアッカド人によるもので、シュメール人自身はキエンギ(ル)ki-en-gi(r)と称した。この地域にいつごろシュメール人が来住したかは不明で、その来住経路や原住地の問題、シュメール語の系統に関する問題などとともに、一般にシュメール問題とよばれる。

[吉川 守]

文字と言語

出土遺物の比較研究によって類別されるウルク期(前3000ころ~前2800ころ)の文化がシュメール人に属することは一般に認められているが、それに先行するウバイド期の文化がシュメール人によって形成されたものであるかどうかは不明である。ウルク期に出現する楔形(くさびがた)文字の原形である古拙(こせつ)文字はシュメール人の発明になるもので、紀元前50年ごろまでほぼ3000年にわたって古代オリエント全土で使用された。楔形文字を採用した主要な民族は、アッカド人、アッシリア人、エラム人、フルリ人、ヒッタイト人、ウラルトゥ人、カッシート人などである。

 シュメール文化の多くはシュメール語と楔形文字を通して古代オリエントに伝えられた。シュメール語は接頭辞、接中辞、接尾辞の発達した典型的な膠着(こうちゃく)語であるが、言語的系統はまだ解明されていない。シュメール人がメソポタミアにおける主権を喪失するウル第3王朝以後はおそらく死語化の道をたどったと考えられるが、それ以後も一種の文化語として存続し、学習された。対訳の語彙(ごい)表などが、バビロニア以外のヒッタイト、エラム、ウガリト、エブラその他でも多数発見されている。

[吉川 守]

都市国家の形成

ウルク期からジェムデト・ナスル期(前2800ころ~前2700ころ)にかけて都市が出現し、いわゆる「都市革命」が行われて、都市国家時代または初期王朝時代(前2700ころ~前2350ころ)を迎える。この時代のシュメールの大都市には、ラガシュ、ウンマ、ウル、ウルク、ニップール、シュルッパク、エリドゥが知られている。アッカド地方の大都市キシュもシュメールと密接な関係を有した。各都市はそれぞれ守護神を祀(まつ)り、君主はその守護神によって選ばれる主権の代行者であった。君主はエンシensiまたはルガルlugalとよばれた。ラガシュでは前2500年ごろウル・ナンシェ王朝が成立し、約150年間支配した。3代目の王エアンナトゥム1世の「禿鷹(はげたか)碑文」、ウンマとの境界抗争を記録した5代目の王エンテメナの「円錐(えんすい)碑文」、王位簒奪(さんだつ)者ウルカギナの「改革碑文」などは、表現に創意の満ちた優れたシュメール語作品といえる。ラガシュの行政・経済文書によれば、都市国家には手工業に従事した専門技術家(金・銀・青銅の細工人、宝石細工人、鍛冶(かじ)工、皮革製造人、毛織職人、漂白人、大工、船大工、指物師、陶工など)、専業分化した漁師(海、淡水、運河、沼、投網(とあみ)の漁師)、遠距離通商に従事する商人などがいて、神殿の分割地を与えられていた。これらの人たちは神殿直轄地の経営に参加し、運河、池溝、堤防の開削・修理、城壁の建造その他の公共事業に従事した。家畜では、ウシ、ロバ、ヒツジ、ヤギ、ブタなどを飼育するそれぞれ専業の牧者が知られている。穀物は大麦、エンマ麦、小麦、野菜は多数のタマネギ類、豆類、キュウリその他を栽培した。30種類のビールは主として大麦、エンマ麦からつくられている。

[吉川 守]

ウル第3王朝

前2350年ごろ、キシュ市出身のサルゴンが新都市アガデ(アッカド)を造営し、シュメールのルガルザゲシを破ってサルゴン王朝を樹立した。シュメール・アッカド地方を一体とする領土国家アッカド王国(前2350ころ~前2150ころ)の出現である。約200年後、アッカド王国はザーグロスの山岳民族グチ人の来攻を受けて滅亡し、その後90年間メソポタミアはその支配下に置かれた。前2060年ごろ、ウルク市の王ウトゥ・ヘガルがグチ民族の支配からシュメール・アッカドを解放し、その臣ウルナンムがウル第3王朝を樹立した。ウルナンム王は官僚組織による集権的専制政治を行い、世界最古の法典(シュメール語で書かれたウルナンム法典)の制定者として有名である。アッカド王朝時代に隆盛になった世界貿易はこの時代にいっそう拍車がかけられ、属州制による統治方式も採用されて、国王は「四方世界の王」と称した。5人の王の支配ののち、セム系民族アムル(アモリ)人の侵攻を受けて滅亡し、シュメール民族は政治的に歴史の舞台から姿を消すことになる。やがてシュメール・アッカド地方はバビロニアとよばれるようになった。それまでメソポタミアにおいて一種の公用語の位置にあったシュメール語にかわって、アッカド語が使用されるようになるが、シュメール文学、シュメール宗教文書などはこの時期に一斉に文字化されるようになり、シュメール語学習のための文法書、語彙表などが作成され、シュメール語文書の翻訳などが行われた。イシン・ラルサ王朝時代(前1950ころ~前1700ころ)、バビロン第1王朝時代(前1830ころ~前1530ころ)にシュメール語で書かれた粘土板文書の内容は多種多様、膨大な数に上る。いずれもシュメール文化の水準の高さを示す貴重な資料である。

[吉川 守]

『N・クレマー著、佐藤輝夫・植田重雄訳『歴史はスメールに始まる』(1959・新潮社)』『ヘルムート・ウーリッヒ著、戸叶勝也訳『シュメール文明』(1979・佑学社)』


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百科事典マイペディア 「シュメール」の意味・わかりやすい解説

シュメール

南部バビロニアの古名,また民族名,言語名。前3800年ころから前3000年ころにかけて人類最初の都市文明を発展させ,形成期のエジプト文明にも影響を与えた。ウル,ウルク(ウルク文化),キシュニップールラガシュなどが中心都市で,特にニップール市の神エンリルは全バビロニアの主神で諸都市の宗教的中心となった。これらの都市には日乾煉瓦を用いた神殿やジッグラトが建てられ,その跡から多くの遺物が発掘されている。前2300年ころから180年間ほどアッカドの支配下に置かれ,都市国家時代は終わった。ウル第3王朝(前2112年―前2004年)時代に統一国家ができたが,エラム人,アムル人(アモリ人)の侵入で滅亡。楔形(くさびがた)文字円筒印章,六十進法,法典の編纂など,後のバビロニア文明の母体を創造した。石材に乏しいため大彫刻は発展せず,記念像や記念碑,建築の装飾彫刻等細かいものが多い。金,ラピスラズリ,貝殻等を用いた精巧な工芸品が多く,装飾技術の発達が著しい。シュメール人はアルメノイド系の民族で,エラム,フルリなどとの親近性が考えられるが,種族的帰属は不明。
→関連項目アッシリアエリドゥギルガメシュ叙事詩シュメール語メソポタミア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュメール」の意味・わかりやすい解説

シュメール
Sumer

古代ギリシア人がバビロニアと呼んだ地の南部,メソポタミアの南東端,現イラク南部の沖積平原をさす地名。シュメールとは,楔形文字でキ・エン・ギ (・ラ) KI-EN-GI(-RA)と記され,バビロニアの古住民は台地部分をアッカド,低地部分をシュメールと呼んだ。この低地部分に定着した住民をシュメール人といい,前 3000年頃オリエント世界最古の高度な文明を創造した。その文明はウバイド期,ウルク期,ジェムデット・ナスル期を経て,前 2900年頃に初期王朝時代に入る。シュメール人がいかなる人種でいつこの地に定着したかは,まだ論議の余地があるが,前 3200年頃のウルク後期から,文字をもち,都市生活に入ったと思われる。前 3100~2900年頃のジェムデット・ナスル期になると,金属の使用やシュメール文明に特徴的な神殿やジッグラトの建築が盛んに行われ,円筒印章 (シリンダー・シール) も使われ,古型の楔形文字が用いられはじめた。初期王朝時代になると都市国家が発達し,お互いに覇権を争ったが,前 2350年頃セム系アッカドのサルゴンにより統一された。シュメール文明の遺跡としてラガシュ,ニップール,ウル,ウルク,エリドゥ,シュルパク,ウンマ,アダブ,アル・ウバイドなどが発掘されている (→シュメール美術 ) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュメール」の解説

シュメール
Sumer

メソポタミア文明を基礎づけた民族。彼らが居住したメソポタミア南部は,北のアッカド地方に対してシュメール地方と呼ばれた。シュメール人とシュメール語の系譜,彼らがいつ,どこから両河下流域に移住してきたかは不詳。楔形文字の原型であるウルク期の絵文字は,シュメール語を表記したものである。シュメール人はエリドゥ,ウルクウルラガシュなどの都市を建設し,初期王朝時代末にはウルクの王ルガルザゲシのもとで統一が達成された。アッカド王朝のあとに成立したウル第3王朝がシュメール人最後の王朝である。この王朝が滅びた前2000年頃を境に,シュメール語は日常生活では使用されなくなり,セム語族の言語を話すアッカド人やアムル人が主役になった。

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