オーストラリアの小説家、詩人。ウェスタン・オーストラリア州ジェラルトン生まれ。ウェスタン・オーストラリア大学卒業後、人類学に興味を寄せ、僻地(へきち)の宣教師やニューギニアの政府研究所助手を経て、イギリスのリーズ大学、母校、カナダやヨーロッパの大学講師を務めた。小説『幽霊の出る地』(1956)、『傍観者』(1957)、『島へ』(1958)、詩集『第一幕』(1957)を発表。1958、1959年の2回オーストラリア文芸協会賞、マイルズ・フランクリン賞(1958)など各文学賞を受賞、新世代の代表作家、詩人と目された。そののちも長編『海中の回転木馬』(1965)、『野生児ミッドナイト』(1967)、詩集『偽(にせ)の沈黙』(1969)、音楽劇『ドニソン嬢の気まぐれ』(1974)などがある。1979年発表の『ビジタンツ』は、パトリック・ホワイト文学賞を受賞した。象徴主義的手法も駆使し、この国の文学に新たな深みと活力を与えた。1987年には、ウェスタン・オーストラリア州で「ランドルフ・ストー小説と詩賞」が設立された。
[平松幹夫・古宇田敦子]
アメリカの女流小説家。コネティカット州のカルビン主義(会衆派)の牧師の家庭に生まれる。キリスト教的人道主義の立場から『アンクル・トムの小屋』(1852)を書き、奴隷制反対の感情を全米的に盛り上げ、南北戦争の気運を促進した。多作家で、ニュー・イングランドの地方色豊かな小説が多く、『牧師の求婚』(1859)、『オールドタウンの人々』(1869)はその代表作。数回イギリスに旅行し、バイロン卿(きょう)の近親相姦(そうかん)を暴露、イギリス国民の不興を買ったこともある。
[関口 功]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この新しい庭はふつう〈風景式庭園〉と総称されるが,イタリアとフランスの庭がそれぞれの地形的特性をよく生かしたものであったように,それはイギリスのゆるやかな起伏をもつ丘陵の牧歌的な風景をその基盤においたものであった。 フランス風の整形庭園を攻撃する文章によってこの風景式庭園誕生の先鋒となった人としては,シャフツベリー伯,アディソン,ポープらがいるが,現実の庭園としてはストーStowe(バッキンガムシャー)のテンプル家の館が最初期に属する。この設計は最初ブリッジマンCharles Bridgeman(?‐1738)によって行われ,彼は庭と外界の境に一種の堀割であるハハーHahahを導入して,何さえぎるものなく眺望が周囲の自然にとけ込んでいくように工夫した。…
※「ストー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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