インドネシア,ジャワ島北海岸中部の港市。ジャワ第4の都市で,重要な貿易港の一つ。人口139万6059(2003)。人口稠密なジャワ中部地方の門戸で,海陸交通の要点をなす。中ジャワ州の州都でもある。
ジャワ海に面する貿易港として,17世紀以来,ジャカルタ,スラバヤと並んで重要な役割を果たしてきた。1678年にオランダ東インド会社に譲渡されて以来,中東部ジャワの北海岸地域(パシシル)の行政・商業の中心地として発展し,肥沃な後背地で生産される砂糖,タバコ,米などの農産物の集散地をなした。これにともない人口増加も顕著で,1905年に9万6000人(うちヨーロッパ人5100人,中国人1万4000人),30年に21万8000人(うちヨーロッパ人1万2600人,中国人2万7400人),独立後の61年に50万3000人,そして80年には100万人を超えた。20世紀に入ると,反植民地運動,ことにイスラム同盟左派や共産党の拠点として重要な役割を果たした町としても知られた。中部ジャワの行政・商業の中心地としての機能は今日も変わらず,経済的には中部ジャワを後背地として,米,ゴム,タバコ,コプラ,チーク材の集散が盛んである。また近代的な機械・繊維工業などもおこっている。ペカロンガン更紗の生産も有名である。古くからジャワでの華僑の大きな集団居住地として知られ,寺院や建物にもその影響を残している。市街は下町と山の手に分かれ,下町はタマリンド樹の茂るプムダ通りを中心に,官庁,商店街,倉庫,港湾関係の会社などが並ぶ。山の手は南部の標高160mほどまでの丘陵地にのび,ジョンブラン,チャンディなどの住宅地を含む。国立ディポネゴロ大学,陸軍中ジャワ管区ディポネゴロ師団司令部が置かれている。
執筆者:別技 篤彦+土屋 健治
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インドネシア、ジャワ島北岸中部の港湾都市。セマランともいう。中央ジャワ州の州都。人口100万5316(1990)、45万9358(2018推計)。人口稠密(ちゅうみつ)な中部ジャワを後背地にもち、海陸交通の要地である。16世紀までは地方の小港にすぎなかったが、湾が大型船の停泊地に適することもあり、18世紀中ごろからほかの地方港を抑えて発展した。華僑(かきょう)商人の活動の中心地で、下町には各種の倉庫や華僑の店があり、また中国寺院も有名である。オランダ人が1753年に建設した古い教会も残る。市街は南方のチャンジの丘陵に延び、住宅地として発展している。タバコ、コプラ、ゴム、チーク材の集散が盛んで、機械や紡織などの工業もある。
[別技篤彦]
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