ゼムストボ(読み)ぜむすとぼ(英語表記)Земство/Zemstvo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゼムストボ」の意味・わかりやすい解説

ゼムストボ
zemstovo

ロシアの地方自治組織。最も古いものは 16世紀にみられるが,自治体としての特徴はなかった。近代ゼムストボは皇帝アレクサンドル2世による改革の一環として 1864年1月に設けられた。県・郡単位におかれ,集会と行政委員会から成る。地主,都市民,農民共同体のそれぞれから代議員選出,地方の行政 (道路,病院,食糧,教育などの管理) にあたった。その結果,ゼムストボ制度を導入した県は導入しない県よりも諸施設ははるかにまさるようになった。しかし選挙資格が制限されており,地主に有利であった。その後も地主に有利になるような法令が発布され,代議員の数も地主代表が過半数を占めるようになった。ゼムストボ制度を導入する県は次第に増加し,1914年にはヨーロッパ・ロシア 43県に及んだ。地主やブルジョアジーを中心に教育・文化・社会面での活動を続ける一方,議会憲法を要求。 05年の十月宣言をめぐり指導者は右派 (十月党) と左派 (立憲民主党) に分裂,右派は政府に協力し,左派も妥協的立場を取った。第1次世界大戦中は戦争継続の立場を取る政府に協力し,二月革命ののち再編成されたが,その反革命的性格は強まり,17年末ボルシェビキ政権によって廃止された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼムストボ」の意味・わかりやすい解説

ゼムストボ
ぜむすとぼ
Земство/Zemstvo

ロシアの地方自治会。最初16世紀にイワン4世により徴税のための手段としてつくられたが、近代に入ってからは1864年に、アレクサンドル2世によって大改革の一環として組織された。議会と役所をもち、県と郡に設けられ、議員は地主、都市の住民、村団から別々に選挙され、議長は県および郡の貴族団長が兼ねた。仕事のおもな内容は、〔1〕道路および橋の整備と維持、〔2〕保健と初等教育、〔3〕農、工、商業の振興、〔4〕貧民救済と飢饉(ききん)の際の食料供給などであった。このゼムストボは、不完全ながらロシアにおける最初の本格的地方自治の機関であり、しかもそこに農民が地主と同席したことは画期的であった。1880年代以降になると、自由主義的傾向の教師、医師、技師がここを本拠に仕事をした。

[外川継男]

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