日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソルベー」の意味・わかりやすい解説
ソルベー
そるべー
Ernest Solvay
(1838―1922)
ベルギーの工業化学者。ブリュッセルの近くのラベックに製塩業者の子として生まれる。学校教育をあまり受けなかったが、父親が経営する製塩業を手伝うかたわら、物理や化学を独学で修めた。1859年、叔父であるスメーFlorimond Semetの経営するガス会社に入り、経営に参画、そこで、ガスやタールの処理法の改善に従事するようになった。とくに廃棄物として当時適当な処理方法のなかったアンモニアの処理法に取り組み、それがきっかけとなって、ソーダ灰の製造法の研究に着手するようになった。アンモニア水の濃縮過程で発生するアンモニアと炭酸ガスを食塩水に吸収させたところ、重炭酸ソーダ(ソーダ灰)の生成をみたのである(1860)。これに注目したソルベーは1861年に最初の特許をとり、ソーダ灰製造の工業化に着手。1863年にはソルベー社を設立し、1865年操業を開始した。1866年には日産1500キログラムの生産に成功し、工業化への見通しをつけた。やがてソルベー法は各国に普及し、ルブラン法を凌駕(りょうが)してソーダの主要な製造法となる。ソルベーの成功の背景には、彼自身が優秀な技術者であったことや家族縁者から物心両面の援助を受けることができたことに加えて、彼が工場を設立した1863年に、イギリスで最初の公害防止条例であるアルカリ条例が制定されたことがあげられる。当時の主流であったルブラン法は、塩酸などによる環境破壊をもたらし不利な条件下にあった。また、ガス製造によってアンモニア価格が低下していったこともソルベー法を有利にした。
化学工場の経営だけでなく、科学研究の振興にも熱心で、物理学、化学、社会学などの研究所を設立し、1911年、物理学に関する国際会議であるソルベー会議を開始した。また第一次世界大戦後の社会混乱に対処するため委員会を組織するなど、社会改革者としても名声を博している。
[慈道裕治]