タイディングズ=マクダフィー法(読み)タイディングズマクダフィーほう(英語表記)Tydings-McDuffie Law

改訂新版 世界大百科事典 の解説

タイディングズ=マクダフィー法 (タイディングズマクダフィーほう)
Tydings-McDuffie Law

フィリピン独立法として知られる。アメリカ上院議員タイディングズと下院議員マクダフィーが共同作成,フランクリン・ローズベルト大統領により1934年3月24日承認され,同年5月1日,フィリピン議会で受諾された。同法は10年の経過期間(コモンウェルス期)ののち,1946年7月4日に共和国としてフィリピンが独立することを約束した。経過期間中,フィリピンはアメリカ領土としてとどまり,全フィリピン市民,官吏はアメリカに対し忠誠を義務づけられた。一方,アメリカ市民,企業はフィリピンで同国市民,企業と同等の権利を享受する特権を保有した。またフィリピン立法府の制定した通貨,鋳貨,外国貿易移民についての法律はアメリカ大統領の承認を要し,直接的にはアメリカ高等弁務官の監督を受けることになった。この法律に従って翌35年には新憲法の制定,総選挙が行われ,11月15日にフィリピン・コモンウェルスが成立した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

タイディングズ=マクダフィー法
タイディングズ=マクダフィーほう
Tydings-McDuffie Act

1934年3月 24日に制定されたアメリカの法律で,フィリピン独立法として知られる。 M.ケソンや S.オスメーニャの指導下に戦われた独立運動の勝利を示すものといわれ,10ヵ年の期間を経たのちに独立を認めること,特定海軍基地を除くアメリカ軍基地を撤去することなどを骨子とする。同年5月1日フィリピン議会はこれを受諾し,独立にそなえ憲法を起草,35年アメリカ大統領および国民投票による承認をとりつけた。同年9月選挙が行われ,従来総督に代る高等弁務官のもとにケソン,オスメーニャが正副大統領となった。完全独立は 46年7月4日に達成された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

タイディングズ‐マクダフィー法
たいでぃんぐずまくだふぃーほう

1934年にアメリカ合衆国議会で成立したフィリピンの独立に関する法律。この名は、法案にかかわる上院議員タイディングズTydingsおよび下院議員マクダフィーMcDuffieの名前に由来する。19世紀末のアメリカ・スペイン戦争以来アメリカが領有していたフィリピンを10年後に独立させることを明示した。同法成立の背景には、フィリピン側の独立運動以外に、大恐慌下での安いフィリピン製品の流入に反対するアメリカの世論が存在した。そのため同法には、フィリピンに対する差別的な通商条項も含まれていた。

[油井大三郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android