タピエス(読み)たぴえす(その他表記)Antoni Tàpies

デジタル大辞泉 「タピエス」の意味・読み・例文・類語

タピエス(Antoni Tàpies)

[1923~2012]スペイン画家定形を否定するアンフォルメル画家の一人画面に砂や土を混ぜたり、ぼろ布を貼りつけたりした抽象画で知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タピエス」の意味・わかりやすい解説

タピエス
たぴえす
Antoni Tàpies
(1923―2012)

スペインの画家。バルセロナに生まれる。ピカソミロダリの世代に続き、1950年代から1970年代にかけてのスペイン前衛絵画の主導者。コラージュから出発したが、1948年、ジョアン・タラッツJoan Jose Tharrats(1918―2001)、モデスト・クイッシャルトModesto Cuixart(1925―2007)、ジョアン・ポンスJoan Ponc(1927―1984)らとともに前衛集団「ダウアル・セット」Dau al Set(7の目のさいころ)を結成クレーやミロの影響をうかがわせる超現実主義的で魔術的な絵画に進んだ。1950年、パリに留学してアンフォルメル絵画を知り、ふたたびマチエールの研究に戻った。彼の、スペインの荒涼たる大地や長大な時を刻んだ民家の壁、あるいは打ち砕かれた扉を思わせる熱い抽象は、内戦に打ちのめされたスペインの苦悩、ひいては現代の苦悩を表現している。1984年には、近・現代美術の研究とそれを知るための場として「アントニ・タピエス財団」を創設した。同財団は19世紀末のカタルーニャ・モデルニスモ建築の始まりを告げるといわれるドメネク・イ・モンタネルLluis Domenech i Montaner(1849―1923)による「モンタネル・イ・シモン出版社」のかつての社屋であったものを改築した建物にあり、特別展の企画、講演会や映画の上映など現代美術と文化の発展に貢献している。同時に、タピエスの作品コレクションも収蔵、1990年アントニ・タピエス美術館として開館した。

神吉敬三・岡村多佳夫]

『『タピエス展 カタロニア賛歌・壁の画家』(1976・西武美術館)』『ペレ・ジムフェレル著、松原俊郎日本語版監修『タピエスとカタルニア』(1976・毎日コミュニケーションズ)』『ヴィクトリア・コンバリア・デグセウス著、伊藤洋子訳『アントニ・タピエス』(1991・美術出版社)』『中山公男監修、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館ほか編『アントニ・タピエス』(1996・アートライフ)』『田沢耕訳『実践としての芸術』(1996・水声社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タピエス」の意味・わかりやすい解説

タピエス
Tàpies, Antoni

[生]1923.12.13. バルセロナ
[没]2012.2.6. バルセロナ
スペインの画家。フルネーム Antoni Tàpies Puig, marqués de Tàpies。バルセロナ大学で法律を学んだが,のち美術の道へ転じた。1948年バルセロナで前衛文学・芸術グループ「さいころの7の目」を結成。1950年最初の個展を開いた。当初,シュルレアリスムの画家ジョアン・ミロ,パウル・クレーの影響を受けて幻想的な絵画を描いたが,ジャン・デュビュッフェの影響を受けて抽象美術へと向かった。作品は壁のような厚塗りの画面に印をつけたり,物をはりつけたりする方法に特色がある。1960年代にはスペインの戦後派の代表的存在としてクローズアップされ,国際的に注目された。1990年,2000余の作品を収蔵するタピエス・ファンデーションがバルセロナに開設された。2010年に侯爵の称号を世襲した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「タピエス」の意味・わかりやすい解説

タピエス
Antoni Tàpies
生没年:1923-

スペインの画家。バルセロナ生れ。ピカソ,ミロ,ダリの世代につぐスペイン現代絵画の代表者。コラージュから出発し,若い批評家や画家仲間とグループ〈ダウ・アル・セットDau al Set〉(1948-51)を結成。クレーやミロの影響をうかがわせるシュルレアリスム的作風の時代を経て,1950年パリに留学,アンフォルメルを知る。以後ふたたびマチエールの研究に戻り,画面に砂やラテックスなどを導入した。その,スペインの風土や民家の壁を彷彿とさせる〈熱い抽象〉は,現代の苦悩の最も優れた表現の一例として知られている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「タピエス」の意味・わかりやすい解説

タピエス

スペインの画家。バルセロナ生れ。バルセロナ大学法学部に在籍中からさまざまな物質を用いて絵画の枠を超える制作をしていたが,1948年〈ダウ・アル・セット(骰子の七つの目)〉グループの設立に参加,画家としての道を歩み始める。1950年代にアンフォルメルを代表する若手画家として脚光を浴びる。少年期に体験したスペイン内乱中の壁の落書きやひっかき跡が自由と抵抗の象徴としてモティーフになった。常にカタルーニャの風土や歴史に対する意識を作品に反映し続け,土や砂を絵の具に混ぜ,時には布や廃品を貼り付けて,重厚なマチエールと厳粛な深みのある色彩の作品を制作している。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のタピエスの言及

【スペイン美術】より

…それ以後のピカソは,パリとスペインを往復しながら,イベリア彫刻,黒人彫刻,エジプト壁画などのもつ現代的な創造性に着目した《アビニョンの娘たち》によって現代絵画の始祖となり,キュビスム革命によって,ルネサンス以来の絵画伝統を否定し,完全に自律的な二次元空間としての絵画への道を開いたのである。ピカソとともにキュビスム運動を進めたフアン・グリスJuan Gris(1887‐1927),シュルレアリスムの枠を越したJ.ミロ,S.ダリ,さらにはタピエスAntoni Tapiès(1923‐ )を中心とした1960年代のスペイン・アンフォルメルの活躍などが,20世紀を,スペイン絵画史上の第2の〈黄金時代〉たらしめている。【神吉 敬三】。…

【スペイン美術】より

…それ以後のピカソは,パリとスペインを往復しながら,イベリア彫刻,黒人彫刻,エジプト壁画などのもつ現代的な創造性に着目した《アビニョンの娘たち》によって現代絵画の始祖となり,キュビスム革命によって,ルネサンス以来の絵画伝統を否定し,完全に自律的な二次元空間としての絵画への道を開いたのである。ピカソとともにキュビスム運動を進めたフアン・グリスJuan Gris(1887‐1927),シュルレアリスムの枠を越したJ.ミロ,S.ダリ,さらにはタピエスAntoni Tapiès(1923‐ )を中心とした1960年代のスペイン・アンフォルメルの活躍などが,20世紀を,スペイン絵画史上の第2の〈黄金時代〉たらしめている。【神吉 敬三】。…

※「タピエス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android