絵を描くための彩色材料。有彩色、無彩色を問わず、彩色しようとする物(板、布、紙などの基底材)の表面に塗ると、そこに定着し、色をもつ物質の層となって被覆する性質のものを広い意味で絵の具ということができる。したがって絵の具は、一般には、色をもつ物質である顔料(がんりょう)の粒子と、それらの粒子をつなぎ合わせて描きやすい状態に保つ展色材、および画面に定着させる接着剤からなっている。そして多くの場合、それぞれの絵の具の中に含まれている顔料以外の主要材質が展色と接着の二つの役割を果たしている。たとえば、油絵の具に用いられる植物性乾性油は、絵の具が密閉保存されている間は適当な粘度に絵の具を保ち続け、使用に際して顔料の粒子が離散しないように保持している展色材である。そして、画面に絵の具が塗られて空気にさらされたのちは、酸化重合によってしだいに固形物質に変化し、顔料の粒子をしっかりと結合して塗膜を形成し、画面に絵の具を定着させる接着剤の働きをする。このような材質をメディウムといい、メディウムを含まない原料のままの粉末色料を顔料とよび、顔料をメディウムで結合したものを絵の具とよぶべきであろう。
しかし伝統的に岩絵の具とよばれる日本画の彩色材料は、粉末顔料をさしている。日本画のメディウムは膠水(こうすい)であり、制作に際して初めて膠水で溶いて使用される。したがって、日本画においては、制作時に絵の具がつくられる、あるいは絵の具をつくることから制作が始まるといえよう。ヨーロッパの画家たちも、かつてはすべて顔料を各種のメディウムで練り上げて絵の具をつくっていた。しかし、19世紀になって工業化されたチューブ入り絵の具などが開発されると、そのような手仕事はしだいに行われなくなった。日本画の技法は、今日においてなお伝統的な画家の手仕事が守られている数少ない絵画技法である。
また、前述したような意味でのメディウムを使用しないで描く代表的な絵画技法に、フレスコがある。フレスコの絵の具は、顔料を水で溶かしただけである。この場合、水は展色材の役割を果たしているが、それだけではけっして接着剤とはなりえず、水分が蒸発したのちには顔料粒子のみが残り、すべて剥落(はくらく)してしまうであろう。そこでフレスコ技法では、地塗りの湿った漆食(しっくい)に含まれる石灰水の化学変化を利用して、顔料を壁面と一体化させてしまう。接着剤としてのメディウムが絵の具自体にはまったく含まれていない特殊な絵画技法である(ただし石灰水で溶く場合もある)。
[長谷川三郎]
絵の具に使用される顔料は、原則として水や各種の有機溶剤に溶解せず、メディウムの中で粒子として浮遊分散する性質のものでなければならない。古代から18世紀に至るまで、これらの顔料は天然の土類や鉱石を原料として生産されてきた。しかし、19世紀になって産業の発展に伴い、天然顔料にかわる人工顔料が発明されるようになった。現在では、ほとんど人工の金属化合物で代用できるばかりでなく、種類も豊富になった。日本画の岩絵の具でも、七宝(しっぽう)と同じ方法でつくられる新岩絵の具などが生産されているが、日本画ではいまなお根強く伝統的な天然顔料が用いられている。
布類の染色などに利用された動植物性の有機色素や染料は、水や溶剤に溶解してしまい、そのままでは絵の具として使用することができない。無色あるいは白色の無機物(体質顔料)に定着させて顔料をつくり、これを絵の具に利用した。茜(あかね)の色素を使ったマダーレーキに代表されるレーキ顔料である。染織工業の発展とともに19世紀以来、各種の合成染料が開発され、これらを利用したレーキ系絵の具もつくられた。しかし、一般にレーキ顔料は耐久性に乏しく、退色しやすい欠点をもっている。
現在では、レーキ顔料の欠点を補う新しい安定性のある有機顔料が、現代化学工業の飛躍的な進歩に伴って数多く生産されるようになっている。
[長谷川三郎]
さまざまな顔料の発見と、それらの彩色材料としての用法の創意工夫の歴史は、絵画史の展開と密接に関連している。民族や風土によって異なる物質文明および精神文化の特質に応じて、多様な絵画技法が試みられ、各種の絵の具が生み出されてきた。それは具体的にいえば、メディウムの材質の多様性である。絵の具の性質はメディウムによって決定され、メディウムの性質によって制作技法も制約される。前述のように、メディウムは展色材・接着剤として働く材料で、メディウムを加えない顔料だけでは、うまく描くことができないばかりでなく、描いても画面に定着しない。動物の皮膠(かわにかわ)をはじめ、卵(レシチン)、牛乳(カゼイン)、蜜蝋(みつろう)、各種の樹脂、さらに乾性油などがメディウムに利用されてきた。これらのメディウムは、絵の具の状態では顔料粒子を分散保持し、画面に移されてからは、水分が蒸発するか、あるいは酸化などの化学変化によって絵の具を膠着(こうちゃく)させる。これらはすべて天然の材料であるが、顔料の場合と同じように、20世紀になってまったく新たな化学合成メディウムが開発された。ビニル絵の具、アクリル絵の具などの名称でよばれる絵の具に用いられているポリマー・エマルジョンである。この新メディウムを使った絵の具は、各種の描画溶剤を使い分けることによって、従来のさまざまな絵画技法の効果を生み出すことができる。
フレスコではメディウムが絵の具自体に含まれていないが、特殊な下地の成分の化学変化を利用して顔料を壁面に定着させる。しかし絵の具にも下地そのものにも、メディウムの代用となる成分をほとんど含まない絵の具もある。液状に溶いて描くことをせず、固形のままで直接画面に彩色する棒状絵の具の多くがそれである。学童用としてなじみの深いクレヨンは、油脂や蝋を多く含んでいるため、描きやすく接着力も強いが、専門家用のパステルは、顔料を固形に保つために必要なごくわずかのガム樹脂で固めてあるだけで、ほとんど接着力をもっていない。コンテ、チョーク、色鉛筆なども、製品によってさまざまな顔料結合材が使用されているとはいえ、やはり接着力は弱い。木炭の場合は、純粋に顔料だけでできているといってもよい。これらの固形絵の具は、基底材(紙)の表面との摩擦によって顔料を画面になすりつけるように使用される。制作後は、顔料粒子が裸のままで画面に置かれたような状態になる。したがって、制作後、顔料を定着させるためには、樹脂を溶剤に溶解したフィクサチーフ(定着液)をかけて保護しなければならない。
インキやメタルポイントも、広い意味で絵の具の一種と考えられるが、ブルーブラック・インキとシルバーポイントはいずれも独特の性質を備えた彩色材料である。ブルーブラック・インキの成分は無色の没食子酸第一鉄で、空気にさらされて酸化し、初めて黒色を呈するようになる。シルバーポイントは銀の尖筆(せんぴつ)で、骨粉などを含む白色下地を施した紙の上に描くと、銀が削り取られて微粒子が下地に埋め込まれた状態になる。この銀の色は美しい灰色で、時を経るに従ってしだいに暗灰色に変化していく。
[長谷川三郎]
もっとも原始的な絵の具は、ラスコーやアルタミラの洞窟(どうくつ)壁画にみられる天然土の粉末を水で溶いたものであろう。また炭化した木の枝やその粉末も、容易に手に入れることのできた素朴な彩色材料である。液状、棒状、そして粉末というこれらの絵の具の形状とその用法は、現代の各種の絵の具と本質的にはほとんど同じである。土を水で溶いて絵の具としたとき、フレスコやテンペラの技法への道が始まったのであり、炭化した木の枝は現在でも木炭デッサンに使用されている。木炭の粉末は、擦筆に用いるソース(粉末コンテ)と同じで、粉末を結合材で固めればコンテやクレヨンをつくることができる。
[長谷川三郎]
『ゲッテンス、スタウト著、森田恒之訳『絵画材料事典』(1973・美術出版社)』▽『ヘイズ編著、北村孝一訳『絵の材料と技法』(1980・マール社)』▽『デルナー著、佐藤一郎訳『絵画技術体系』(1980・美術出版社)』
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