日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン美術」の意味・わかりやすい解説
スペイン美術
すぺいんびじゅつ
スペインはヨーロッパ、アフリカ、地中海、大西洋という四つの文化圏の接点に位置する。そのために古代から民族と文化のるつぼと化し、歴史も外部からの衝撃によって断続的な展開を示してきた。こうした特殊条件のもとで美術も、特異な混合様式を生むとともに、中世から18世紀にかけて、政治と国教としてのカトリックに密接に結び付いて発展した。スペイン美術は17世紀と20世紀に一大発展期を迎えたが、その中心ジャンルは絵画で、総体的にいって自然主義、表現主義、人間中心主義的な傾向が強い。
[神吉敬三]
古代――民族と文化のるつぼ
旧石器時代のアルタミラ洞窟(どうくつ)壁画をはじめ、原始時代の美術遺産も数多いが、イベリア半島に個性的な造形美術が現れたのは、植民のために移住したフェニキア人、ギリシア人、カルタゴ人が東方美術を伝えてからで、その影響下に、先住イベロ人は紀元前4世紀から、造形性豊かな彫刻と陶器を中心とするイベリア美術を展開した。
7世紀に及ぶローマ属領時代の遺跡も、イタリカ、メリダをはじめ各地に散在し、発掘が続いている。北方から侵入したゲルマン系のキリスト教徒による西ゴート時代(5~8世紀初頭)は、ローマの遺産に北方の抽象傾向を加えた美術を遺(のこ)した。
[神吉敬三]
中世――二つの宗教の併存対立
711年イスラム教徒が北アフリカから侵入、1492年までキリスト教とイスラム教の併存対立時代が続き、その後のスペイン美術の展開に大きな影響を与えた。イスラム教徒は南部を中心に、コルドバのメスキータMezquita(大モスク、8~10世紀)からセビーリャのヒラルダの塔La Giralda(12世紀)、そしてグラナダのアルハンブラ宮殿(14~15世紀)に至る華麗な建築様式を次々と展開、その装飾過多の傾向と特異な空間感情は、キリスト教建築にも影響を与えた。
一方、北部のキリスト教圏では、西ゴートの伝統を継承するアストゥリアス美術(8~10世紀)、イスラムに学んだ技術でキリスト教の主題を扱ったモサラベ美術(9~10世紀)などが行われた。後者ではとくにミニアチュールが有名で、代表作『ベアトゥスの黙示録注解書』(ベアト本)は数多くの写本を生み、その後のスペイン絵画に影響を与えた。
続いて西ヨーロッパとの関係強化を反映し、中世の二大様式であるロマネスク(11~13世紀)とゴシック(13~16世紀)が栄えた。ロマネスク建築は、リポール修道院などを中心とするカタルーニャ地方のロンバルディア系と、サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂を終着点とするサンティアゴ巡礼路に沿ったフランス系という二様の展開をみせ、南下するにしたがって民族的な性格を増していった。彫刻も復活し、「栄光の門」など建築に付随したもののほかに、18世紀まで行われることとなる木造極彩色の聖像彫刻が多くつくられた。壁画も盛んに行われ、バルセロナのカタルーニャ美術館には世界一のコレクションがある。
ゴシックは、イスラムに対する国土回復戦争(レコンキスタ)の進展とともに勝利者様式となり、半島の最南端にまで及んだ。建築は、13世紀のレオン、ブルゴス、トレドの各大聖堂はフランスに倣ったが、南下するにしたがってスペイン化され、セビーリャ大聖堂のように水平性が強調されていった。その間、イスラム様式とロマネスク、ゴシックがそれぞれに融合したムデハル様式も生まれた。彫刻は、自然主義的傾向と表現性を増した。絵画は、イタリア・トレチェント(1300年代の様式)と国際ゴシックの影響に続き、15世紀フランドル派を積極的に吸収して、スペイン・レアリスム絵画の基礎を築いた。
[神吉敬三]
16、17世紀――黄金時代
15世紀末にイスラムを駆逐して国土統一を果たしたスペインは、「新大陸の発見」、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世のスペイン王即位(カルロス1世)などにより、一気に世界一の大国となり、今度は新興プロテスタントによる宗教革命に対抗するカトリックの旗手となった。16世紀はルネサンスとマニエリスム、17世紀はバロックの時代だが、スペインでは、これら両世紀の美術を鼓舞したのは、対抗宗教改革の精神であった。
ルネサンス建築は、ゴシック的な色彩の強いイサベル様式に続いて、サラマンカ大学正面などにみるスペイン独特の装飾過剰なプラテレスコ様式に始まり、ホアン・デ・エレーラJuan de Herrera(1530ごろ―1597)のエル・エスコリアル(修道院・離宮)にみられる純イタリア様式に行き着いた。彫刻と絵画は逆に、マニエリスムを出発点として、次の世紀にスペイン的個性を確立する。彫刻ではアロンソ・ベルゲーテAlonso Berruguete(1489―1561)らによる祭壇衝立(ついたて)用の木造彩色の表現主義的な聖像が主流を占めた。絵画では、「聖なる」モラレス(ルイス・デ・モラレス)、スペイン初の肖像画家アロンソ・サンチェス・コエーリョAlonso Sánchez Coello(1531/1532―1588)に続き、宗教画家エル・グレコが黄金時代の到来を告げた。
バロック建築もプラテレスコ同様に過剰装飾を特徴とし、チュリゲーラChurriguera一族とその弟子たちが活躍した。彫刻も、伝統的な聖像彫刻が主流をなし、カスティーリャの表現主義的なグレゴリオ・フェルナンデスGregorio Fernández(Hernández、1576ごろ―1636)、アンダルシアのやや甘美な傾向のホアン・マルティネス・モンタニェースJuan Martínez Montañés(1568―1649)らが傑出している。絵画では、ホセ・デ・リベラ、フランシスコ・デ・スルバラン、ディエゴ・ベラスケス、バルトロメ・ムリーリョ、ホアン・デ・バルデス・レアールらの巨匠が輩出、ベネチア派とフランドル派の教訓を生かしながら、スペイン的なレアリスム絵画を展開し黄金時代を築いた。
[神吉敬三]
18~19世紀――ブルボン王家の支配から近代美術の草創
1700年に始まった王位継承戦争の結果スペインの支配者となったフランス系ブルボン王家は、アカデミー制度を導入し、新古典主義を強制するとともに、スペイン人のバロック的性向を嫌って、外国人芸術家を数多く招聘(しょうへい)した。18世紀にスペイン美術は大きな危機に直面したが、そのとき背理の大爆発を遂げたのが近代絵画の先駆者フランシスコ・デ・ゴヤであった。ゴヤ以後ふたたび沈滞したスペイン美術は、19世紀末から20世紀にかけて第二の黄金時代を迎えることになる。
[神吉敬三]
20世紀
スペイン内戦まで
建築家であったアントニオ・ガウディを例外として、キュビスムを先導したパブロ・ピカソ、ホアン・グリス、シュルレアリスムのサルバドール・ダリやジョアン・ミロ、ピカソの鉄彫刻に技術上の助言を与えたことでも知られるフリオ・ゴンザレスJulio Gonzalez(1876―1943)、後期キュビスム彫刻のパブロ・ガルガーリョPablo Gargallo(1881―1934)など、20世紀前半のスペインを代表する芸術家の多くはパリで活躍した。しかし彼らの作品には、スペイン、あるいはカタルーニャの風土や精神が根底にあると指摘される。また一方で、そうした主流の動向とは別に、地域主義運動の噴出やアメリカ・スペイン戦争(1898)の敗北が引き金となり登場した「98年の世代」に共鳴して、イグナシオ・スロアーガIgnacio Zuloaga(1870―1945)やホセ・ソラーナらが、暗く悲惨な民衆的テーマを描いていた。
[保坂健二朗]
スペイン内戦から1950年代
スペイン内戦(1936~1939)の真っただ中の1937年に行われたパリ万国博覧会において、他館が科学技術を称揚する楽観的雰囲気のなか、スペイン・パビリオンだけはフランコ政権を批判するプロパガンダの様相を呈していた。バルセロナの建築家、都市計画家のホセ・ルイス・セルトJosep Lluis(José Luis) Sert(1902―1983)によって設計されたこのパビリオンの室内は、内戦中の不正、虐殺に対する芸術家の怒りで埋めつくされた。ピカソによる『ゲルニカ』はその一つである。
フランコ政権下の芸術は、検閲とアカデミーの支配による停滞状態にあった。しかし1947年、アントニ・タピエスを含む芸術家、文学者、哲学者がバルセロナで創設した「ダウ・アル・セットDau al Set」は、シュルレアリスムやダダの影響下、潜在意識を表現しようとするもので、カタルーニャの地にふたたび同時代美術の躍動感を吹き込んだ。それに続いて1957年マドリードで創設された「エル・パソEl Paso」は、アントニオ・サウラAntonio Saura(1930―1998)やマノロ・ミリャーレスManolo Millares(1926―1972)により、スペインにおけるアンフォルメル運動の拠点となった。
[保坂健二朗]
1960年代以降
1960年代以降には、ミニマルだが量塊感のある彫刻で知られるエドゥアルド・チリダEduardo Chillida(1924―2002)、空想的リアリズムのアントニオ・ロペス・ガルシアAntonio Lòpez García(1936― )、ポップで風刺的なエドゥアルド・アッローヨEduardo Arroyo(1937―2018)がいる。それ以降の世代では、スザーナ・ソラーノSusana Solano(1946― )、フアン・ムニョスJuan Muñoz(1953―2001)やクリスティーナ・イグレシアスCristina Iglesias(1956― )による立体表現の活躍が目覚ましい。1990年代、バスク行政府により計画されたビルバオ市再生プロジェクトの一つ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館の商業的成功や、バルセロナ現代美術館の開館が話題となったが、一方でそれは、美術のグローバル化を意味してもいる。
[保坂健二朗]
建築
建築では20世紀初頭、モデルニスモmodernismoとよばれるスペイン版アール・ヌーボーがバルセロナを中心に栄えた。なかでもガウディの建築は、もはやいかなる様式も超える独自の構造と装飾をもっており、多くの前衛的芸術家に衝撃を与えた。しかし続くフランコ政権期の圧政は、セルトやフェリックス・キャンデラFélix Candela(1910―1997)の亡命、すなわちスペイン建築の停滞を招いたのであった。1960年代のモダニズム復興期を経て、1970年代には歴史的古典主義のリカルド・ボフィルや、批判的地域主義、文脈主義のラファエル・モネオRafael Moneo(1937― )による活躍が始まる。1980年代にはサンチアゴ・カラトラーバSantiago Calatrava(1951― )による独創的な空間と構造をもつ建築が注目を集めた。
[保坂健二朗]
『林屋永吉・神吉敬三編『世界美術大系17 スペイン美術』(1962・講談社)』▽『神吉敬三編『世界の博物館16 スペイン・ポルトガル博物館』(1979・講談社)』▽『主婦の友社編・刊『エクラン世界の美術16 スペイン・ポルトガル』(1981)』▽『『原色世界の美術5 スペイン・ポルトガル』(1983・小学館)』▽『『世界美術の旅12 スペイン物語』(1989・世界文化社)』▽『田島恭子・上田雅子・星和彦著『ヨーロッパの建築・インテリアガイド――歴史的建築物から美術館、ショップまで 上』(1991・ニューハウス出版)』▽『F・チュエッカ著、鳥居徳敏訳『スペイン建築の特質』(1991・鹿島出版会)』▽『菅井日人著『スペインの大聖堂』(1992・グラフィック社)』▽『馬杉宗夫著『スペインの光と影――ロマネスク美術紀行』(1992・日本経済新聞社)』▽『岡村多佳夫著『スペイン美術鑑賞紀行1 マドリード・トレド編』(1995・美術出版社)』▽『岡村多佳夫著『スペイン美術鑑賞紀行2 バルセロナ・バレンシア編』(1996・美術出版社)』▽『神吉敬三著『巨匠たちのスペイン』(1997・毎日新聞社)』