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抽象美術 ちゅうしょうびじゅつ Abstract art

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

抽象美術
ちゅうしょうびじゅつ
Abstract art

自然の形態の再現や模倣によらない美術の総称。抽象的図像は先史時代の絵画や,オリエント,中世の美術にも多くみられ,人類の美術の一傾向となっているが,狭義には 20世紀に生れた非再現的な美術をいう。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

抽象美術
ちゅうしょうびじゅつ
abstract art英語
art abstraitフランス語
abstrakte Kunstドイツ語

目に見える現実世界を再現したり、具象的イメージを保持したりすることなく、色や形それ自体のもつ表現力によって一つの造形世界を形づくり、美的情感を喚起しようとする美術。広義の抽象美術は古今の非再現的な装飾活動などに広く認められ、事実、ドイツの美術史家ウォリンガーは、抽象衝動を、対象再現芸術への希求と並んで、人間の本質的な芸術意欲の一つとみなしている。しかし純粋な造形的要素の組立てのみによって、現実世界とは異なる自律的な抽象世界を打ち立てようとする美術の出現は、20世紀に入ってからのことである。そしてそれを準備したのが、19世紀末から20世紀初頭にかけての美術であった。[大森達次]

準備期間

19世紀後半に生まれた印象派(印象主義)は、写実的表現を極限まで推し進め、視覚像の再現を徹底させるために光や大気の震えさえも描こうとしたが、その結果、現実の存在の形態や質感を犠牲にすることにもなり、逆説的ながら写実主義の破産を胚胎(はいたい)することになった。1880年代に印象派の写実的傾向に対する反動として現れた後期印象派(後期印象主義)は、ただちに抽象絵画を生み出すには至らなかったにしても、抽象絵画の基本原理となる色彩と形態それ自体のもつ表現力に注目するようになる。ゴッホにとって、色彩は現実を再現するものである以上に自己固有の世界を表現するものであり、セザンヌの空間構成は現実の再現にもまして独自の造形世界を樹立する道に通じていた。また「絵画とは一つの抽象である」と語るゴーギャンは、内的なビジョンの表現を目ざして装飾的画面を展開し、モーリス・ドニは、「絵画とは――軍馬や裸婦、あるいはなんらかの逸話である前に――本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩に覆われた平らな面」と定義する。さらに色彩の自律性の強調は20世紀初頭のフォービスムを生み、形態の自律性の強調はキュビスムを生み出して、抽象美術の出現を準備したのである。[大森達次]

誕生と展開

抽象美術はドイツ、フランス、ロシア、オランダなどで1910年代のほぼ同時期に誕生した。当時ミュンヘンにいたカンディンスキーは1910年ころから抽象作品の制作を試み、その後、「即興」や「コンポジション」といったタイトルのもとに、音楽との親近性を示すダイナミックな抽象構図を追求した。彼にとって絵画とは、なによりも芸術家の「内的必然性」の表現であって、その抽象世界はロマン主義的、表現主義的傾向を顕著に示している。こうしたカンディンスキーの対極に位置しているのがオランダの画家モンドリアンである。彼は、キュビスムによって触発された厳しい構成の探究を徹底させ、新造形主義の理論をつくりあげるとともに、主知主義的な幾何学的抽象世界を展開した。その間彼はファン・ドースブルフと出会い、1917年には2人で美術雑誌『デ・ステイル』を創刊して、新造形主義の理論の普及に努めた。ロシアではマレービチのシュプレマティズム(絶対主義)が、基本的な形態の組合せにより純粋幾何学的抽象を試み、また同じロシアのタトリン、リシツキー、ロドチェンコらの構成主義もまた抽象芸術運動を展開した。フランスでは、ドローネー、ピカビア、クプカFranois Kupka(1871―1957)らがキュビスムの探究と深くかかわりながら、ダイナミックなリズムの追求と明るい色彩に対する関心とによってオルフィスムとよばれる抽象世界を形成した。こうして抽象美術は急速に波及していったが、なかでもとりわけ新造形主義の流れをくむ幾何学的抽象が、ファン・ドースブルフの精力的な普及活動とも相まって、両次世界大戦間の時期にヨーロッパ全体に広まり、確固とした潮流を形づくったのである。[大森達次]

第二次世界大戦以降

第二次世界大戦後は、1946年にパリで創設されたサロン・デ・レアリテ・ヌーベルが新たな抽象美術の可能性を追求する若い世代の有力な活動舞台となるが、この時期抽象美術といえば幾何学的抽象を意味するほどにもこの種の抽象美術が圧倒的な優位を占めていた。しかし、50年ごろを境に幾何学的抽象が一定の公式に依拠する形式主義に堕し、アカデミズム化への傾斜を強めていったのに対し、しだいにその勢力を伸張していったのが、いわばカンディンスキーをその源流とする叙情的抽象ないし表現主義的抽象である。それはまた、幾何学的抽象が理知的な性格のゆえに「冷たい抽象」ともよばれるのに対し、内的な心の動きを表現しようとするために「熱い抽象」ともよばれている。叙情的抽象の芸術家のなかでも、サロン・ド・メを重要な発表の場としたバゼーヌ、マネシエ、サンジエらは、自然との接触から生まれる感動を創作の根底に据えており、いわば印象主義的な抽象絵画を生み出している。またポリアコフSerge Poliakoff(1906―69)、シュネーデル、アルトゥング、スーラージュ、ド・スタールらは、ときに新エコール・ド・パリの抽象画家とも称される。この「熱い抽象」の代表的かつ極限的運動が、デュビュッフェ、フォートリエ、ボルスらを先駆者とするアンフォルメルであり、またニューヨークを活動の中心とし、ポロック、デ・クーニングらを擁するアクション・ペインティングであった。そこでは美術の本来的な要素であったフォルム(形)さえもが否定されて非定形なもののみが残され、また描くという行為自体に重点が置かれている。さらに40年代以降のアメリカでは、ニューマン、ロスコらのカラー・フィールド・ペインティングとよばれる抽象表現主義絵画の一傾向もおこっている。
 このように第二次世界大戦後は、表現主義的抽象の系譜を引くものが優勢となってはいるが、とはいえ幾何学的抽象の流れをくむオプ・アートやキネティック・アートなどの動向もあり、多彩な様相を呈している。また70年代以来ポスト・モダニズムがしだいにかまびすしく叫ばれ始めるとともに、モダニズムの代表格ともいえる抽象美術は退潮の傾向にあり、さらには抽象美術の概念そのものの再検討も必要とされている。[大森達次]
『H・L・C・ヤッフェ著、赤根和生訳『抽象への意志』(1984・朝日出版社) ▽二見史郎著『抽象芸術の誕生』(1980・紀伊國屋書店) ▽フランク・ウィットフォード著、木下哲夫訳『抽象美術入門』(1991・美術出版社) ▽中村英樹・谷川渥監修・著『アート・ウォッチング 現代美術編』(1993・美術出版社) ▽乾由明ほか編『世界美術大全集 西洋編 第28巻 キュビズムと抽象美術』(1996・小学館) ▽ドリー・アシュトン著、南条彰宏訳『ニューヨーク・スクール』(1997・朝日出版社) ▽土肥美夫著『抽象絵画の誕生』新装復刊(1997・白水社) ▽カンディンスキー著、西田秀穂訳『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論――芸術における精神的なもの』『カンディンスキー著作集2 点・線・面――抽象芸術の基礎』新装版(ともに2000・美術出版社)』

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